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「憧れのドルメン」志登支石墓群  福島県糸島郡前原町

お墓巡り

 「私の趣味はお墓巡りです」と書けば、「わかった、有名人の…」とか、深読みをしてくれて「古墳の事でしょう」と理解を示す人もいるだろう。しかし、一般には、「お墓といっても古墳の事ですよ」と(多少後ろめたい気持ちもあるので)「古代探訪」を全面に押し出しても、「なんと物好きな」と思われても不思議ではない。

 三省堂『新明解・国語辞典』を引くと、【物好き】とは「普通の人が余り・やらない(やりたがらない)事を好んでする事。また、その人」とある。金田一先生(耕助さんではなく、京助さん)にこう言い渡されると、それに当てはまる私は、「ハ、ハーッ」と手を着いて上半身を折り曲げるしかない。

 正直なところ、普通のお墓も見ないわけではない。それを目的で行く事はないが、お寺の拝観等で古い墓地を通る時は、石塔の墓誌につい目が行ってしまう。幼児から高齢者までが同じ没年なら、つい「事故か飢饉か」などと自分勝手な結末を想像してしまう。

志登支石墓群

 志登支石墓群の存在を知ったのは、山川出版社『福岡県の歴史散歩』(1984年改訂版8刷)だった。
 今年購入した、それから5年経った1989年版では「横書き」になり、定価600円が消費税コミの890円に変わった。ただ、遺跡の写真だけは同じように草に埋もれている。

支石墓]弥生時代に朝鮮から北部九州に伝えられた墳墓築造技術。地表に一枚の大きな石を置き、その下を数個の塊状の石で支え、そこに甕棺や土壙・石室などをつくり、その中に死者を埋葬している。ドルメン(古代ケルト語)とも呼ばれる。

国史跡・志登支石墓群]福岡県糸島郡前原町にあり、昭和28年の調査で10基確認された。使用した石は4キロ西の可也山から運ばれ、最大のものは5トン以上。

志登支石墓群hへ

 福岡市の西隣・前原町(まえばるまち)。この町は『魏志』の〔倭人伝〕に記されている伊都国の所在地といわれ、弥生遺跡の宝庫だ。

 標識を探しながら、国道202号を西へ向かう。すでに閉館時間とあって見学を諦めていた「伊都歴史資料館」の表示板は目に入ったが、「志登支石墓群」が見当らない。

 志登へ右折する道は、10万分の1の道路地図では一本線の表示だ。それを通り過ぎたことが確実となってから適当に見当をつけた道に入り、地図を頼りに北側から迫ってみた。この「見当」は大概外れ「現在位置不明地獄」に堕ちるのだが、地図の字名(あざな)とバス停名とを照らし合わせると、志登支石墓群は近いとの感触を得た。

 一面に広がる緑稲の海に、遠くに、そこだけ島のように浮きでた所が望める。そこに何本かの木と説明板らしきものが見えるが、道がない。
 橋を渡り右折し、舗装もまだ黒い新道をしばらく川に沿って走ると、小橋の傍らに立派な「国史跡・志登支石墓群」の標示板があった。逆コの字型に遠回りしてようやく史跡の前に立つ事ができた恰好になったが、太陽は、すでにシルエットとなった「糸島富士」と呼ばれる可也山(かやさん※365m)の右肩に傾いていた。

 この場所で「弥生人も、自分と同じように夕日に染まりながらあの山を眺めたに違いない」と想うと、夕暮ということもあって一人旅の感傷と孤独が顔を見せ始める。それも、今日最後の目的地に達して気が弛んだのか、急に感じた空腹に、感動的な「夕日に向かって涙ぐむの図」は消し飛んでしまった。

 思えば、今日は昼飯を食べる時間も惜しんでの弥生遺跡巡りだった。金印「漢委奴国王」も拝めたし、「晩飯は豪華にいくから」と胃を慰めて再び古代への想いに浸ったが、現実に引き戻そうとするのが使命と言わんばかりの目の前にまとわりつく羽虫が…。
 それを払いのけて視線を落とすと、支石が埋まっているために、「なんだ、ただの礎石じゃないか」と思えるような状態で長さ2m位の平石が幾つも顔を出していた。

 それらを縁取る恰好に伸びた雑草を踏み散らして、その中央部に立ってみた。「ここに漂う」と言っても自分が設定する「弥生時代から今に続く空気」だが、それに包まれて遙かなる時代をさかのぼろうとしても、…ため息しか出ない。
 志登支石墓群は、写真で見た大陸や朝鮮半島にあるテーブル状の「これがドルメンだ」とはとても言えない平面的な遺構だったが、ある一時期に生きた人々のエネルギーがこの「巨石記念物」として残ったと考えると、その存在感はいやが上にも増す。

 扁平な石が並んだだけの弥生のお墓を眺めれば、自分を改めて「物好き」と思う。しかし、それを実践せずにいられないわくわくする高揚感と、それを目の前にした時の達成感を知ってしまえば、「これが自分の生きる糧」と開き直るしかない。

 新しい道に導かれて南に向かうと、あっさり国道に出てしまった。何のことはない、先程の伊都歴史資料館の標識のあった交差点だ。

 その資料館は、国内最大級の直径46.5センチの変形内行花文鏡4面所蔵ということで計画に入っていたが見学を果たせず、昨日の春日市弥生遺跡収蔵庫も休館日だったことから、又、ここ九州に来る理由ができてしまった。

 さて「群れる一般人コース」なら、名のある温泉宿で夕食を済ませ夜の街で一杯というところだが、「単独行物好き人コース」では今夜の宿も無く風呂にも入れない。孤高と呼ぶには余りにも侘びしいが、この現実をも楽しんでしまうのが旅の醍醐味と自己満足してみた。

 一応ネオンはあるが、山の中にある(後で糸島郡富士町と知った)「古湯温泉」。共同浴場の営業時間内に間に合ったが、まだ消化していない残りの道程を思うと気が重くなった。
 すっかり遅くなってしまった就寝前の豪華な晩飯は、二皿の海の幸と幕の内弁当、それに生ビールだった。…実は、スーパーのお買い得2パック五百八十円の刺身と赤字の値段がついた弁当、それに缶ビール。

平成3年5月