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「竹原標準時」竹原古墳 福岡県宮若市

装飾古墳巡り

〈5月5日午後4時40分〉 「竹原古墳」の標識を横目で見ながら、見学の手続きをするために若宮町生活センターに飛び込んだ。ところが、「間にあったー」と一息ついた自分を迎えてくれたのは、併設された共同作業所の「もう管理人は帰りました」との無情の言葉。

〈5月6日午前11時半〉  道順もすっかり覚え余裕を持って乗り込んだセンターだったが、管理人室には誰もいない。一瞬息を止め、ツバを飲み込んだ。しかし、奥の部屋で、一人の女性が昨日応対してくれた見覚えのある男性数人と昼食をとっているのを見てひとまず安心した。初見の女性が管理人と理解したからだ。

 どうも、(昨日のこともあり)竹原標準時は、自分を含めた日本標準時より30分は進んでいるらしい。しかし、竹原に入りては竹原に従えだ。「食事中、誠に申し訳ないが…」と下手に出たのが功を奏してか、箸を置いた管理人の顔には不快感がなかった。

 説明のテープが入ったラジカセの操作方法を説明し終わると「ごゆっくり、どーぞ」の声。「古墳(お墓)見学にはふさわしくない言葉だなー」と思いつつも、「一人だけでゆっくり楽しめるぞ」「いや、余り遅いと怪しまれるかな」などと自問自答しながらセンター横の諏訪神社境内へ向かった。小山に一見トイレ状の小屋が張り付いている。竹原古墳だ。

 ラジカセと黒の紐で結ばれた鍵で、黒塗りのドアを開ける。この、鍵で戸を開けるという行為には、閉ざされた秘密の世界に侵入するようなワクワクするモノがある。しかし、6畳くらいの内部は机と椅子があるだけの殺風景な部屋、というよりただの四角いコンクリートの空間で、見学者の心の動きには一向に無関心のように時間が止まっていた。
 「解放厳禁」との注意書きに戸を閉めようと思うのだが、このまま閉じ込められたらとの恐怖感がよぎり、いや、次の見学者が来れば助かる、とか、ラジカセが「人質」だから必ず助けに来るとかおかしな事ばかり思いつく。それほど窓のない密閉された部屋は異様な感じで、閉所恐怖症でなくても精神状態がおかしくなりそうだ。

 戸を閉めたことで腹が据わると、この部屋の空気にも幾らか馴染んだ。やや密度が濃いように思われる空気を撹拌しながら、正面の、絵と説明文が書かれた壁面に近づいた。
 机の上にラジカセを置く。その電源用のコンセントの上にスイッチが二つ並んでおり、上が石室内の照明で下が(後で判明した)「熱線」とある。6分間(も)あるというテープの女性の声を背に、右手下部の小さな戸を開けて石室内に潜り込んだ。

 石室の長軸が、部屋からの連絡口とズレているのは保存上の設計だろうか。左側ににじり寄ると羨道の正面に位置するが、入り口は40×80センチのガラス窓で密閉されておりこれ以上は進入できない。

 「ワイパーが壊れかかっているので強く回さないで下さい」の意味がここで初めて理解できた。ガラス手前のレバーを手で動かすと、石室側のワイパー(車と同じ物)が連動し水滴を除去するのだ。傍らにタオルが置いてあり、これでこちら側の水滴も拭う。
 ガラスには、車のリアウィンドウにあるのと同じ曇り止めの熱線があり、古墳の施設とすれば結構ハイテクだ。温湿度計があり16度を表示しているが、湿度計の水タンクは空で同じ温度を指している。

 玄室奥壁まで距離はあるが、白熱電灯の照明が適切で見やすい。正面の丸みを帯びた台形の一枚岩に、左右に赤く塗られた翳(さしば※日除けに用いるうちわのようなもの)、下から波形文・船・馬・人物・竜・三角連続文が続く。記憶より色が褪せ輪郭も幾らかボケているのはいつものことで、写真から脳へインプットされた映像が経時変化で、人間側の(願望で)都合のよいように作り替えられたためだ。

 顔料は、赤はベンガラ・黒は炭素と分析されているとあるが、褪せているため青く見える。手前に位置する右袖石の朱雀、左の玄武は位置と角度がわるく、色褪せもあってよく見えなかった。

 千三百年の時が流れ、石室は「有料野外美術館」になり、死者に捧げられ生者に見せることがなかった絵は、磐の額縁に納まった石のキャンバスに描かれた「絵画」と名前が変わった。しかし、一般の美術館と決定的に違うのは、「鑑賞方法が和式トイレスタイルだ」ということだ。

平成6年5月