御柱紹介 /

これが伝統「黒木の御柱」

黒木の御柱  12.6.3

 平成10年に建てられた本宮四之柱は皮付きです。湖南(こなみ)・中洲地区が担当しました。

 このサイトを見た上記の住民から、「樹皮をはがさないのは湖南・中洲地区の伝統で、本一を担当するまで皮付きのままにする、という噂もあります」と興味深いメールが届きました。諏訪大社本宮のお膝元・中洲区の神宮寺公民館がホームページを開設しているのを知り、迷惑を承知で調査をお願いしたところ、館長から以下の返事が届きました。

 下社の場合は、祭りの一年前に伐採します。一年間、皮の付いたまま放置すると「ふし」ができるので皮を剥くことが必至ということです。仕事がら昭和55年の御柱から私も上下の御柱をみていますが、下社のその伐採時期は暖かな時期になっていますから、すぐに皮むきが可能です。
 一方、上社ですが、春とはいえ、まだ山は雪残る厳寒。40日後の曳航には日も少ない、生きている神木であっても凍っているわけで、皮むきそのものがむずかしいことにあります。というより、昔、御小屋の山に登る人足は多いわけではなく手も少ない。作業は困難。もともと伝統を訪ねれば「黒木(くろき)鳥居」といって、皮をむかずにそのまま鳥居を立てることが行われており、原始的な形式が村内では一般的であったとのこと。
 もともと剥がないでいた柱でしたが、たくさんの人が奉仕で山に集まる時代になり、特に理由はなく「剥ごうか、たくさん人(足)がいるから」と理解して良いようです。ただ黒木鳥居を知っている人たちがいる中洲地区では、厳粛に伝統にこだわり、剥がないとしています。もし再来年の御柱で中洲担当が剥いであったとしたら、それは中段の簡単な理由が支配したとご理解ください。
 (過去百年に一度も担当していない)「本一」の抽選については「諏訪大明神」のみが知るところ、神宮寺の人たちは上社の杜とこうして向かい合って生活してきているのです。おひざもとの人たちが諏訪大社に寄せる思いは、地元に住んでいても輝いてみえます。9月15日の十五夜相撲もそれで、上社とともに楽しんで生きているんだと思います。
 今回の調査は、町内70代古老と、御柱とともに生きてきた宮大工さんから聴取したものです。ひとつの解釈例としてご活用ください。

本宮四之御柱 それから2年経った、平成14年9月23日の御柱です。樹皮が剥がれ、見方によってはみすぼらしい姿になっていました。
 それはともかく、再来年の御柱抽籤式が楽しみになりました。本一を湖南・中洲(神宮寺)地区が獲得すると、伝統派の勢力次第では、史上初の「黒木の本一」が登場する可能性があります。確率は数学的には八分の一ですが、本一が当たらない確率が高いのもこの地区の伝統です…。

黒木の本宮二之御柱 16.7.10

本二 「これが御柱だ」といっても誰も信用しないのがこの写真。湖南・中洲地区が担当した本宮二之御柱ですが、皮をむかないので樅の立木と区別がつきません。この地区は黒木の御柱が伝統ですが、史上初の「黒木本一」に一歩届かず本二として登場しました。

 この御柱も、平成10年に建てた同地区の「本四」のように、将来樹皮がはがれ落ちる「可能」性があります。それを踏まえると、二、三年後の年末ジャンボに賭ける人はこの下で待つのも妙案です。
 ただし、「可能」は「危険」とも置き換えられます。たとえ神様の分身が当たり、これは験(げん)がよいと購入しても、(怪我をした場合には)その賞金額の多少によっては差額がマイナスになることもあります。

素肌を見せた本宮二之御柱 16.10.23

 10月18日の朝も相も変わらない通勤路でした。しかし、飽きたからと言って居眠りをするわけにはゆきません。この先を90度右に曲がらないと、車共々本宮の境内に飛び込んでしまいます。

 その手前にある諏訪大社の駐車場が珍しく混み合っています。こんなこともあるのかと視線を前方に戻すと、階橋(きざはし)周辺に異常なほど人が集まっています。鳥居を透かして見える本宮二之御柱にも人が取り付いています。ピンときました。御柱の皮を剥いでいるのでしょう。10秒程度のわずかな時間ですが、文字で表すとこうなりました。その後、何日か注視しながら通り過ぎますが、境内が暗いためはっきりとは見えませんでした。

本宮二之御柱 10月23日の朝、「多分」を間違いないものとするために出かけました。ここ南口からの境内は県道より一段も二段も沈んでいます。日射しを遮られた本二周辺は、半袖時にはホッとするような空間でしたが、その猛暑もすでに思い出となった今日では襟を立てたくなります。トレーナーだけを着てきたことを後悔しました。
 黒皮を見慣れていた私は、御柱でも風邪を引くのではないか、という寒々した姿を仰ぎ見しました。いきなり剥がされて外気アレルギーになったような、じんま疹のような斑模様が異様です。
 この御柱は、担当した地区の伝統で樹皮を剥がずに建てられました。そのこだわりを今になって捨てたのは何故でしょう。自主的なのかどこからか圧力が加わったのか、この一週間新聞テレビ等に注目していましたが、一切報道されませんでした。

史上初! 黒木の「本宮一之御柱」 22.2.15

 平成22年の御柱抽籤式では、中洲・湖南地区が“悲願”の「本一」を引き当てました。「一度は見たい黒木の本一」が実現したので、この結果には満足しました。


本宮一之御柱の曳行(22.5.2)

 この年から「御柱はテレビで見るもの」とズボラを決め込んだ私ですが、他ならぬ「黒木の御柱」です。何か変わった方法で紹介しようと考えた結果、金毘羅神社から「ズームイン 本宮一之御柱」を実践しました。カラシ色のシャツで中洲・湖南地区の曳行とわかります。

伝統より「安全」 22.4.18

 『長野日報』の朝刊に、「湖南・中洲 初の皮むき」として以下の記事が載っていました。

 湖南・中洲地区は、本宮二の柱を曳行した前回、建て御柱後に皮がはがれ落ちてきたため、参拝客の安全を考慮して皮をむいた経緯がある。伊藤武大総代によると、より多くの人が見物する本宮一ということもあり、伝統より安全面を重視してはぐことにしたという。

御柱固め これで「伝統」の一つが消えたわけですが、中洲・湖南地区では念願の「本宮一之御柱」を獲得できたので、これでも「よし!」でしょう。
 写真は、5月5日に行われた本宮一之御柱の「御柱固めの儀」です。