平成10年に建てられた本宮四之柱は皮付きです。湖南(こなみ)・中洲地区が担当しました。
このサイトを見た上記の住民から、「樹皮をはがさないのは湖南・中洲地区の伝統で、本一を担当するまで皮付きのままにする、という噂もあります」と興味深いメールが届きました。諏訪大社本宮のお膝元・中洲区の神宮寺公民館がホームページを開設しているのを知り、迷惑を承知で調査をお願いしたところ、館長から以下の返事が届きました。
それから2年経った、平成14年9月23日の御柱です。樹皮が剥がれ、見方によってはみすぼらしい姿になっていました。
それはともかく、再来年の御柱抽籤式が楽しみになりました。本一を湖南・中洲(神宮寺)地区が獲得すると、伝統派の勢力次第では、史上初の「黒木の本一」が登場する可能性があります。確率は数学的には八分の一ですが、本一が当たらない確率が高いのもこの地区の伝統です…。
「これが御柱だ」といっても誰も信用しないのがこの写真。湖南・中洲地区が担当した本宮二之御柱ですが、皮をむかないので樅の立木と区別がつきません。この地区は黒木の御柱が伝統ですが、史上初の「黒木本一」に一歩届かず本二として登場しました。
この御柱も、平成10年に建てた同地区の「本四」のように、将来樹皮がはがれ落ちる「可能」性があります。それを踏まえると、二、三年後の年末ジャンボに賭ける人はこの下で待つのも妙案です。
ただし、「可能」は「危険」とも置き換えられます。たとえ神様の分身が当たり、これは験(げん)がよいと購入しても、(怪我をした場合には)その賞金額の多少によっては差額がマイナスになることもあります。
10月18日の朝も相も変わらない通勤路でした。しかし、飽きたからと言って居眠りをするわけにはゆきません。この先を90度右に曲がらないと、車共々本宮の境内に飛び込んでしまいます。
その手前にある諏訪大社の駐車場が珍しく混み合っています。こんなこともあるのかと視線を前方に戻すと、階橋(きざはし)周辺に異常なほど人が集まっています。鳥居を透かして見える本宮二之御柱にも人が取り付いています。ピンときました。御柱の皮を剥いでいるのでしょう。10秒程度のわずかな時間ですが、文字で表すとこうなりました。その後、何日か注視しながら通り過ぎますが、境内が暗いためはっきりとは見えませんでした。
10月23日の朝、「多分」を間違いないものとするために出かけました。ここ南口からの境内は県道より一段も二段も沈んでいます。日射しを遮られた本二周辺は、半袖時にはホッとするような空間でしたが、その猛暑もすでに思い出となった今日では襟を立てたくなります。トレーナーだけを着てきたことを後悔しました。
黒皮を見慣れていた私は、御柱でも風邪を引くのではないか、という寒々した姿を仰ぎ見しました。いきなり剥がされて外気アレルギーになったような、じんま疹のような斑模様が異様です。
この御柱は、担当した地区の伝統で樹皮を剥がずに建てられました。そのこだわりを今になって捨てたのは何故でしょう。自主的なのかどこからか圧力が加わったのか、この一週間新聞テレビ等に注目していましたが、一切報道されませんでした。
平成22年の御柱抽籤式では、中洲・湖南地区が“悲願”の「本一」を引き当てました。「一度は見たい黒木の本一」が実現したので、この結果には満足しました。
この年から「御柱はテレビで見るもの」とズボラを決め込んだ私ですが、他ならぬ「黒木の御柱」です。何か変わった方法で紹介しようと考えた結果、金毘羅神社から「ズームイン 本宮一之御柱」を実践しました。カラシ色のシャツで中洲・湖南地区の曳行とわかります。
『長野日報』の朝刊に、「湖南・中洲 初の皮むき」として以下の記事が載っていました。
これで「伝統」の一つが消えたわけですが、中洲・湖南地区では念願の「本宮一之御柱」を獲得できたので、これでも「よし!」でしょう。
写真は、5月5日に行われた本宮一之御柱の「御柱固めの儀」です。