前宮本殿に向かうこの坂道を何度通ったことでしょうか。すっかり通い慣れ、石段前までは目を閉じてもたどり着けそうです。しかし、年と共に脳内ジャイロが劣化していますから、急流の側溝にはまるような危険は冒しません。
「建御柱」が終わってから初めての前宮参りです。脳の深層にまで染みついた掛け声と木遣り・ホイッスルとラッパが「鮮やかによみがえった」と書きたいのですが、すでに、寝る度に鮮度が落ちていました。その中で、目の先に前宮一之御柱が見え始めました。
「あー、曲がってる!!」…正確には「傾いている」のですが、感嘆符を二つ書き加えずにいられないほどです。一体どうしたことでしょう。
まず思ったのは、6年間もこのままでは(別にこのページで紹介しなくても)「前宮の斜御柱」として全国に知れ渡るのではないか、ということです。
錯覚ではない証拠に、逆光ですが電柱を入れて比較できる写真を選びました。結構信用できる目測で(といっても心配なので、約)2度傾いています。これは意識して傾けたとしか言いようがありません。仮に「しまった」と後悔しても、「御柱固め」の神事は、建て御柱の翌朝に終わっていますから今更修正はできないでしょう。
ピサの斜塔と違い前宮の「始めから斜御柱」は、すっかり話題が乏しくなった諏訪の平では格好のネタとなりそうです。しかし、祭りが終わると急速にしぼんでしまう御柱男には興味を引くまでには至らないでしょうか。
見れば見るほど情緒が不安定になる前一は、幸いにも社殿が左にあるため、仮に「御柱占い」ができる状態になっても駐車場の車が下敷きになるくらいで済みそうです。と、何かを期待するような不心得文ですが、根本に重心があるので基部が腐食しない限り倒れる心配はないでしょう。
三々五々現れては消える(神社より)御柱目当ての参拝者と、遠くの「カッコー」がうるさく思われるほどの“静けさ”。燃え尽きた、というより「爆発して蒸散した」御柱命の男達は、今何処へ。
その後、この斜め御柱を知人に話すと、「御柱は社殿側に倒れないように傾ける(そんなことは常識だ)」と返ってきました。垂直に立(建)てるのは易しいのですが、数字で表せない、見上げる人にそれと分からないように傾けるのは難しいようです。本などからいくら知識を吸収しても、このときばかりは、御柱の里で生まれ育った普通の「諏訪人」にもかなわないと思いました。それにしても、これは傾けすぎではないでしょうか。
その後、いつの間にか修復されていました。…残念!