御柱紹介 /

自宅に諏訪大社の御柱 富士見町落合 21.5.3

 「三社明神社」の近くに駐車スペースを求めましが、見つからないのでJA信州諏訪「机支所」の駐車場を寸借しました。支所の奥で光らせているかもしれない目を気にしながら支所入口の坂上に立つと、自然と、道を挟んだ正面の民家に「大きな柱」が建っているのが見えました。

机の本宮二之御柱 頂部に幣帛が確認できるので「御柱」です。直ぐ近くがこれから参拝する三社明神社ですから、その古御柱を縁起物として庭に建てたのでしょう。
 三社明神社は「机公民館」の奥にありました。参拝を済ませて戻ると、公民館の駐車場に軽トラが駐まっており、傍らに夫婦連れが立っています。
 “お邪魔”でない事を確認してから、三社明神社の由来を聞いてみました。「この辺りにある三つの祝神を合併して造ったので三社明神社」に、「当番年の総代が法人登録をしてしまったので、御柱を建てるにも(神社庁の)許可が必要になり面倒になった」と、おまけが付きました。
 話し好きなのか、質問の答えが倍にも三倍にもなって戻ってきます。これはチャンスと、気になっていた「庭に立つ巨大な御柱」を切り出しました。

机の本宮二之御柱 御柱は、平成4年の「落合・境・本郷」の抽籤総代が当てた、諏訪大社の「本宮二之御柱(本二)」でした。
 平成10年の春、抽籤総代が、御柱休めで倒された「本二」を記念に引き取って自宅の庭に建てたということでした。金額は(控えめでも)80万円と言いますから、輸送と建てる費用を加えれば100万円は超えたでしょうか。
 一般には、抽籤総代は地区の大総代が兼ねます。大きな名誉を受けますが、出ていくお金も大きいと聞いています。御柱の袂にある屋敷神の石祠も新調したようなので、この地区では名の知れた旧家なのでしょう。

机地区見聞録

 メモができないほどの情報量なので記憶違いがあるかもしれませんが、(取り留めのない)見聞録として紹介します。

 「本二」は、本宮・前宮の8本のうち、格(大きさ)では3番目になります。しかし、本宮に建てるので里曳きが三日間あり、“実質にはNo.2の人気”となります。この御柱を引き当てた抽籤総代は、本来なら「よくやった」と祝福されるのですが、「こんな大きな柱を当ててどうするだ」と(陰で)叱られたそうです。机の集落が属する「落合・本郷・境」地区は氏子が少なく、さらに諏訪大社から一番遠いときていますから無理もないでしょう。
 これに関して「氏子に日当を払いアルバイトも雇って人集めをしたが、それでも人足が足りずにトラクターで引っ張った年があった」という噂を聞いていましたから、日当の件を確かめてみました。「今では弁当を出すくらいだが、つい最近までは◯千円(も)の手当を払っていた」と返ってきました。

 御柱抽籤式で(落合・本郷・境地区の)抽籤総代が記念にもらった籤(くじ)の紙縒(こより)は「読めない字が書いてある。誰にも見せずにお墓まで持って行く」という話がありました。この時は「フーン」で終わったのですが、後日納得できました。これについては、別記の〔御柱抽籤式の“談合”〕としました。

 話は大きく変わり、(隣が山梨県なので)「山梨人は(夕暮れになると)一人が提灯を点(とも)すと皆がその後について行くが、諏訪人は全員が提灯を点す」と言うので、てっきり山梨の人は倹約の精神があると理解しました。ところが、「山梨ではリーダーの一声で全員が従うが、諏訪では、俺が俺がと全くまとまらない」ということでした。

 「この(公民館前の)道はかつては国道だった。地元の有力者が強引に誘致したが、(時代の流れもあって)カーブが多く拡幅もできないので旧国道になってしまった」と、すでに完全に脱線しています。しかし、奥さんも、そんな旦那に呆れながらも笑顔で相づちを打っていました。

 一見(いちげん)のヨソ者にこれだけの「内輪話」を話してくれるのは、すでに諏訪の常識としてオープンに語られているためでしょう。それでも「この話を公表していいか」と確認すると、「みんなが知っていることだから一向に構わない」ということでした。