古い写真の中に、複数の[X]が刻まれた御柱があります。その目で見ると、『諏訪史 第二巻後編』の図録に載る本宮一之御柱も、片側に連続して刻まれているのがわかります。
上部が地面に削られて平らになっていますから、曳行中では、人が乗る面に刻まれていることがわかります。
この[X]は柱が大きいだけにかなり目立ちますから、御柱のルーツを伝える“何か”とも考えてしまいます。ただし、現在の御柱には見られません。
それを意識しながら古そうな本やグラフ誌を見ると秋宮の御柱にもありまました。
ここでは、昭和47年刊行の長野県教育委員会『諏訪信仰習俗』から、二枚の「秋宮一之御柱」を転載しました。
この写真では三箇所の[X]が確認できます。
同じ御柱ですが、先端が埋まっているために、二箇所のみが見えます。
この刻みは小宮の御柱にも見られますから、何かの意図を持って付けられたのがわかります。繰り返しになりますが、最近の御柱には、それが希少価値になるほど、まったくもってありません。
サイト『信州・山浦地方の暮らし』から、《第3部》〔おんばしら編〕の一部です。(文脈に乱れがありますが)ここには、「滑り止め」と書いてあります。
曳行中でも舵取りが必要でない場合は、御柱にテコ衆が櫛の歯の如く乗ります。何かと御柱の上に立ちたがるテコ衆ですが、(御柱は円柱とあって)雨で濡れれば滑り易くなります。それを防ぐための刻みとすれば、「なるほど」と納得できます。
〔昭和二十五年二月十七日湖東村に於ける御柱祭三ヵ村協議事項に基づき本村協議事項−湖東村−〕から一部を転載しました。
ここでは「十文字」ですが、「先穴より九尺(約2.7m)」が「秋宮一之御柱」写真と一致し、下社でも同様な決まりがあったことが窺えます。
改めて整理すると、Xの刻みは御柱に乗りやすくするためのものです。しかし、「先から尻まで」では満身創痍とも見えますから、先端に乗る人(大幣軸を捧持する人)をサポートする人が乗る場所に限定したということになります。
それも、美観というか見苦しいと言うことで、現在は禁止となったのでしょう。
結論として、御柱に刻まれたXXXは「かつて行われた、御柱に乗る人のスリップ防止の溝」としました。