御柱見聞録 /

御柱祭の光と影 −泣き寝入り−

難所
狭い「穴山の大曲り」(平成10年)

 御柱の曳行コースは昔から決まっていて、新しい道ができても「御柱街道」という狭く曲がりくねった道を必ず通ります。
 「穴山の大曲り」という難所があります。曳き子と梃子衆の息が合わないと垣根や軒・電柱を壊すことになりますが、各御柱は、テクニックの差はあっても難なくパスして行きます。

 平成10年は、「本三」がメドテコ(左右に突き出た角のような柱)を人家に引っかけてしまいました。さらに、「亡き夫が大切にしていた」という松の枝を折り、彼女に「へたくそ」と言われたシーンを全国放映されてしまいました。TV局も、必ず何か起こる場所と認知していますから待ちかまえていたのでしょう。聞くところによると、壊した物件は、曳行を担当した地区が全額補償するそうです。

損害補償について
土地(田畑)、建物、其の他の諸物件に損害を与えた場合は、其の御柱の責任において補償すること。

踏まれたチューリップ また、御柱の予期せぬ動きに、一般の曳き子が民家や生け垣に飛び込む“人災”もあります。
 狭い道では、曳き子や観光客が「御柱御免」とばかりに所選ばず通行するため、道路に面した庭では、伸び始めたチューリップなどが無惨に踏みつぶされているのをよく見ました。

 街道筋の旧家では、この年一気に増える「御柱親類縁者」や無礼講ともいえる誰彼かまわず上がり込む曳き子の接待に追われ、祭りを楽しむ余裕もないと言います。また「一回で50万円」が飛ぶという出費に、JA(農協)の「御柱積立預金」も現れた、と新聞に載っていました。
 「御柱だから」と笑って(心で泣いて)、「御柱台風」が1号から8号まで通り過ぎてゆく3日間をじっと待つだけという御柱街道沿いは、今でも極端に新築家屋が少ないそうです。

荒らされる農家の対策は

御柱「山出し」
畑を捏ねる曳き子

 早春の田畑はまだ作物が植えられていませんから、その中を歩く曳き子は迷惑を掛けているという意識は無いようです。
 地主も大目に見ている(我慢している)ようですが、大勢の曳き子や観光客が入り乱れて通過となると話は別です。畦は壊され土は硬く締まり、機械力のなかった昔は、その後の田畑起こしに苦しんだと言います。

 対抗して仮設のフェンスを張ることもあるそうですが、これも行き過ぎると不評を買います。防衛の手段が逆に凶器となって曳き子が怪我をする場合があるからです。
 かつては、畑に糞尿をまき田には水を張ったそうです。しかし、酒と祭りが醸す精神昂揚・今で言う「ハイ」の状態になった曳き子にはウンコや泥も勲章となり、決定的な効果はもたらさなかったそうです。もちろん、自ら好んでその中に入る人はいません。急に前の人がいなくなった不審さに頭を働かせる余裕もなく、後ろから押されてその中に突入してしまった、というのが実情でしょう。

 御柱の“弊害”に対して何も言えず、「泣き寝入り」という言葉自体も使えない時代が長く続きました。ところが、最近は大総代や警察に苦情が持ち込まれるケースが増えたそうです。一応、曳行を始める前に大総代から厳重注意がありますが、今でも「御柱だから許される」という“神話”は生きていて、誰もがこの神の権利を行使します。

雨の御柱
御柱が通った田圃

 川越しへ向かう中央自動車道の手前に、最短距離として毎回この中を斜めに横断していたと思われる一枚の田があります。
 平成16年は雨だったので、その田は、先行の御柱が盛んにこね回し完全に泥沼化していました。かつての農家が水を張った対抗手段の再現のようにも見えました。

 中核となる若者は雨中でもカッパを着ずハッピと地下足袋で通しますが、一般の曳き子といえば、長靴も見られますがスニーカーがほとんどです。伝統ある「田中の道」ですから、その双方は柱と運命を共にするしかありません。一回汚せばもう破れかぶれ状態になりますが、全員足を取られて苦戦していました。「川越し隊」は続いて川に入るので関係ないのですが、一般の曳き子は足がふやけて…冷たくて…。

 実は(という言い方も変ですが)、この辺りは「中河原」と呼ばれる地籍で、かつては耕作地がない土地でした。そのため、どこを通ってもよいという過去の因襲があり、それを実行している節があります。さすがに現在では許されず、平成22年はコンパネが敷きつめられていました。