御柱見聞録 /

川越しはつらいね −御柱と共に禊ぎ−

 木落としが終わると、御柱はJR中央東線の狭いガード下をくぐり、中央自動車道の高架下を通ると、宮川に突き当たります。

御柱の川越し


平成22年「前二の川越し」

 「川越し」とは、御柱がその川を渡ることを言い、「山出し」最後の見せ場となります。順番は最格上の「本一(本宮一之御柱)」から始まり、「前一」「本二」と、「本宮」と「前宮」の柱が交互に川を渡り「前四」で終わります。4月とはいえ雪解け水は冷たく、年によっては増水したり雪が舞う中で行われます。

曳き綱の川越し

 御柱の川越しは、まず村旗や区旗が渡ります。次に、曳き綱の先端に結びつけたロープを対岸に届けます。(濡れたくない)一般の曳き子はそのロープで、水に半身浸かった若者と力を合わせて重い曳き綱を“川越し”させます。

川越し 写真は、そのロープを体に結びつけて対岸へ向かうシーンです。急激な体温変化に見舞われるので、今回が御柱レビューという若者が担当します に担当させます。彼等はフンドシ一丁となって、ここが見せ場と勢いよく(中にはやむを得ず)飛び込みますが、そのままになった場合に備えてサポートするのが完全武装した両端のダイバーです。

 年々、川越しの安全第一が徹底されるようになりました。(安全重視なら人を乗せない方がと思いますが)御柱の川越しも、ダイバーが“遭難”に備えて川上と川下で目を光らせるようになりました。水中突入の混乱時は沈んだままの人がいても気づきにくいので、彼らの緊張はかなりのものだったと聞きました。

 平成16年からは、巨大な温水(泉)タンクが用意されました。濡れた体を温めて着替えをしてもらうという配慮です。しかし、曳き綱収用などの片付がある担当者は、終了の万歳が終わるまで着替えずに震え続けていました。

毎回異なる川越し事情

 平成10年は、前日予定の「前二」の川越しができず、最終日は五本の川越しとなりました。そのトバッチリはしんがりの「前四」がもろに受け、川越し開始時間は予定より二時間も遅れました。闇の中でサーチライトに照らされての川越しとなった最終便は、(テレビで見る限り)観客も激減し曳行するはずの同区の氏子も少なくなっていました。「スポットライト」を浴びてはいるものの、ギャラリー不在の寒く寂しい環境の中で、「前四」チームは精一杯の水中パフォーマンスを繰り広げていました。
 川越し終了後に前四大総代の談話が放映され、「それぞれの地域で盛り上がったということでしょう」と大総代の穏やかな顔が映りました。その裏に確実にある「怒り」は、遅れの原因となった前日の担当区や、すでに自宅に戻って風呂上がりのホロ酔いでこの番組を見ている氏子には通じたかどうか。

 平成16年の川越しは、「前二」以下がこの日朝から雨という中で行われました。午後から雪が舞い夕暮れには積雪となった宮川は、公表では水温4度でした。この日、「時間が掛かっては後続の柱に迷惑が掛かる」と二つの柱がメドテコを外しました。川越しは、メドテコが無いと短時間で済むからです。この日に晴れ姿を披露するはずだったメドテコ乗りの落胆がいかほどのものであったのかは、想像に余ります。

危険度は下社の木落とし以上

 「メドテコが折れて、石に叩きつけられた二名が死亡」という“真実に近い噂”もありました。24時間以内でなければ「死亡」事故にならない・祭りで死んだとは言えないから伏せた、などの話は風評であって欲しいのですが…。

川越し
平成22年「万が一に備えて見守るダイバー」

 こんな話を聞くと、改めて川越し専用に整備された石の護岸が危険に見えてきます。何トンもの重量が掛かるため強度の問題もあるかと思いますが、丸太と杭で造る工法もあるのではないでしょうか。何か決定的な対策をとらないと、ヘルメット着用なんてことになるかもしれません。
 「上社川越しの危険度は下社の木落し以上」と本にある記事も納得できます。急激な温度変化による心臓麻痺や、高いテコから振り落とされて(木落としは土ですが)石やコンクリートに激突など即死の恐れもあります。

 ずぶ濡れで青ざめた顔で「死ぬかと思った」とつぶやき、温水シャワー施設へ向かった姿がゾンビのように見えました。