御柱見聞録 /

御柱祭の物忌み(タブー)

目隠し?
上社の山出し(原村柳沢)

 左は、赤いハッピを羽織った木遣衆の「お願いだー」の声で、御柱が動き出す直前のシーンです。
 御柱街道では、写真のように目が粗い緑の布に覆われた何かが各所で見られます。初めて参加した私は、物珍しさも手伝ってその横に回り込んでみました。…何と墓地で、大きな石塔が林立していました。

中世の物忌令 −上社−

 嘉禎の奥書がある『信濃国諏方上社物忌令(上社本)』から、一部を紹介します。

一、御宮造(※式年造営=御柱祭)に、元服・袴着(はかまぎ)・よめとり・婿とり・屋(家)作り・造作不可有(あるべからず)

一、人を引導したる人の忌七日、同野辺送りの人の忌、前立つは三日、跡に立ちたる七日の穢れなり、同御営造には人を引導する事はなし、 弓のつるうちまわして其の内の土を掘り、土葬して次の年取り出て引導する也

諏訪教育会『復刻諏訪史料叢書 第一巻』

 「弓…」の件(くだり)をわかりやすく書くと(といっても『諏訪市史』からの転載ですが)、「その年亡くなった人は一旦他所に仮埋葬し翌年正規の墓地に葬った。仮埋葬の地が得られない人は、神長官から忌みの弓弦を頂いてきて、それを打ち回してその円の範囲内を掘って仮埋葬した」となり、早い話が「御柱年には葬式は出すな」ということになります。

上社の神長官も受けた物忌令

墓石
神長官夏直路廟

 守矢家当主である守矢早苗さんの『守矢神長家のお話』に、「夏直路廟(なすぐじびょう)」の話があります。「御柱年に亡くなった祖先は、厳しい物忌令により、この別廟に葬られました」という内容です。
 「忌みの弓弦」を貸し出した神長官でさえ物忌令の対象だったことになりますが、これは宝暦年間に廃止されたそうです。

江戸時代の服忌令 −下社の場合−

 元禄11年の奥書がある『信州下諏方服忌令』からの抜粋です。

一、寅申御柱年並毎年六月晦日には春秋両社之中條に死人を不葬※ 一本「両社之左右の川より内に」とあり、

一、寅申御柱年家作・元服・袴着・嫁娶(よめとり)禁之、産屋・厩・門・木戸は造ても不苦、

諏訪教育会『復刻諏訪史料叢書 第一巻』

「春宮と秋宮の間には埋葬するな」というものです。
 下諏訪町誌編纂委員会『下諏訪町誌』から〔御柱祭の伝承いろいろ〕を転載しました。

葬儀の内済
 これはもうその姿をなくしたものであるが、昔は御柱年に死者が出ると、引導を渡さず又本来の墓地へ埋葬せず他の所へ仮埋葬をして、翌年改めて引導を渡したのである。現に、下諏訪の武井の奥には無数の墓石が山腹に点々としているのを見ることが出来るし、また、同町萩倉の部落の墓地の一隅には、御柱年の死者のみ葬る一区域が存在しているのである。古来、我々日本人は清浄を尊び汚穢を避ける国民性をもっていたので、身内に汚れを生じると七年一度の大祭事に参画奉仕の喜びを味わえないため葬儀を翌年に延ばしたものである。

 この解説の「御柱祭に参加できないので葬儀をしない」を言い換えれば、「御柱祭を楽しみたいので死んだことにしない」となります。『物忌令』を逆手にとったような知恵とも言えますが、これを読んで、諏訪人の御柱祭に対する思い入れが理解できたような気がしました。

平成の物忌令

 現在でも、「不幸があった家は、祭りには参加できない(しない)・御柱に触ると大きな事故が起きる」と、話としては聞くことがあります。

─私の場合─ その年度は末端ながら区の役員でした。ところが、春先に母を亡くしたので、横滑りで受けさせられていた祭典委員は(これ幸いと)辞退しました。一方で、区の役員としての役目があるので、御柱祭の期間中はフルに参加しました。四十九日は過ぎていましたが、「何か起こったら」と言うより「何か言われる」のが嫌で、御柱に触れることは極力控えました。

─諏訪大社大総代の場合─ これは御柱祭の年に限ったことではありませんが、本人及び配偶者の一等親は「諏訪大社参拝の自粛期間は50日」と決められているそうです。「自粛」とあるのが現代を感じさせますが、代々の申し継ぎで、「禁止」と同等のものと理解しているようです。

─御柱祭典委員の場合─ 各地区で異なると思いますが、一等親の場合は「四十九日までは、行事・祭典の出席は自粛」と申し合わせているようです。

墓地の覆い

 長らく、(一笑に付されそうですが)冒頭に挙げた墓地の周囲に張りめぐされた緑の幕は、神の柱が穢れたものを見ないようにする配慮だと思っていました。
 ところが、平成14年になって、各団体の『協定事項』を読む機会があり、諏訪警察署による要望事項の中に「危険個所に対する事故防止措置について」を見つけました。内容は「特に上社では、狭あいな曳行路・木落し坂・川越し場・本宮・前宮境内等においては、ロープ規制(立ち入り禁止)。石碑・石灯ろう等の倒壊・転落防止措置(補強・ネット等による覆い・一時撤去等)危険防止の措置についてはその責任において十分な対策を講じるよう」というものでした。
 その中の「ネット等による覆い」が、私が見た「柳沢上墓地三個所(上写真)」で、“穢れ”とはまったく関係がないものでした。

江戸時代の物忌み

 買地ノ式について「もう少し知りたい」という方は、以下のリンクでご覧ください。

〔神長官『口上書覚』〕(諏訪大社の神事)