諏訪大社と諏訪神社トップ / 各地の神社メニュー /

阿禮神社奥社 塩尻市塩尻町明神平 29.2.25

 写真の場所を「塩尻峠」と書いても「?」でしょうが、道の駅「小坂田公園」から岡谷市に向かって二つ目の駐車帯とすれば、頷く人がいるかもしれません。

阿禮神社奥社

 そもそもの発端は、この看板です。その存在に目を留めるようになったのは10年以上前としか言えませんが、現在は文字も薄れて読み取ることはできません。

立入禁止
『ストリートビュー』から転載 

 参拝時に撮った写真を見ながら「駐車帯の…」と書いてみましたが、文字では、私が感じたものがストレートに伝わりません。そこで、もしかしてと〔ストリートビュー〕で走ってみたら、鮮明な画像(左)を得ることができました。

 広大なスペースにこの「立入禁止」ですから、前を通る度に、「トラブルって何だろう」と気になります。それがいつまでも撤去されないので、「殺人事件があった」との妄想も膨らんできます。

 「トラブル」に目が行く中で、駐車帯の奥に鳥居があることに気が付きました。その後、何回かの横目の継ぎ足しで、鳥居の左右にある木札に「奥之院(現在は奥社)」が読み取れました。一気に上がった興味ですが、「立入禁止」の上に峠道の走行ですから、「また今度」と先送りしてきました。

阿禮(あれい)神社奥社参拝 28.10.20

 長年に渡って気になっていた“諏訪神社”ですが、ようやく参拝することができました。

阿禮神社奥社

 一つ上の駐車帯に駐めてから戻ります。ところが、「阿禮神社 奥社」の木札が…。実は、ある時期から「諏訪神社」と思い込んでしまい、その流れで「諏訪神社の奥社・奥の院って何だ」とここへ来ましたから、拍子が抜けました。しかし、「あの阿禮神社が里社(里宮)で、ここが奥社」と、新しい知識を得ました。

阿禮神社奥社 気を取り直して鳥居をくぐると、石造りの社号標「式内 阿禮神社奥社」があります。里社(里宮)を参拝する前に奥社詣でとなりましたが、これも何かの“順番”でしょう。
 写真は明るく写っていますが、実感としてはトップ写真の暗部と同じです。鳥居前の舗装とは別世界のぬかるんだ部分を避けながら進むと、ビニール貼りの仮屋があります。中には何もありませんが、拝殿ということでしょう。

阿禮神社奥社本殿 スルーした先の石垣上に、覆屋がありました。扉にはビニールが貼られていますが、賽銭投入用の小窓から本殿を撮ることができました。
 幣帛と向拝柱に結わえられたソヨゴの色がこの奥社の立場をよく表していると、勝手な状況描写をしてみました。

 ここには案内板がないので、里社である阿禮神社の『式内 阿礼神社延喜』から、奥社に関係する部分を抜粋しました。

 往古、東山(ひがしやま)塩尻峠西麓を流れる四沢川流域に諏訪族神氏(みわし)を祖とする氏族が集落生活をしていた。彼等は四沢川上流の五百砥山(いおとやま)に山神水分(みくまり)神を祀り、大神(おおみわ)信仰の下に神の霊力を有つ山そのものを御神体として阿礼ノ神を祀った。阿礼ノ神は御生(みあ)れ神・御邑(みあれ)神の意で一族の守護神である。
 やがて彼等は放牧農耕の生活にも慣れ、古代国家が整った頃には他の集族も容(い)れ、農耕文化を取入れた地域集団になっていた。そして五百砥から遙か麓の農耕可能の地域に集落を移動すると共に、(以下、里社の記述)諏訪明神に縁のある素盞鳴命を主祭神とし、其の子孫に当たる大己貴、すなわち大国主命を相殿神とし社殿を造営して奉斎した。