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変わりゆく「三峯社(お仮屋)」 東筑摩郡朝日村 26.8.12

「西洗馬原新田」の三峯社
東筑摩郡朝日村 たまたま開いた三村邦雄著『松本平の石神石仏考』に、杉葉で囲われた三峯社の写真が一枚だけ載っていました。説明に「西洗馬原新田」とあります。これぞ「(長野県中部の呼称)中信地区の正しい三峯社」という造りですが、36年前の発刊とあって、現在は地区の産土神社へ移転している可能性が大きいと考えました。
 「朝日村 神社」で検索すると、「五社神社」が表示しました。地図で確認すると西洗馬に一番近い神社ですから、まずそこへ行こうと計画を立てました。

五社神社

五社神社 五社神社(左)の境内には、一棟の石祠しかありません。これは自分の手に負えないと、朝日村文化財「鉄鐸と鉄鉾」の絡みもあるので、まず民俗資料館へ向かいました。
 ところが、展示物の模様替えで午後は休館という間の悪さです。しかし、昼食の時間帯であるのにも関わらず、女性職員が館内にある資料を調べてくれました。結局は進展がなく、後は「図書館へ」という話になりました。
 「AYTマルチメディアセンター」に併設された図書館では、彼女の連絡で、関係する本が用意してありました。最後の頼りとなるその朝日村誌刊行会『朝日村誌下巻』の〔地区誌〕では、「西洗馬地区」にはありませんが、「小野沢地区」に「本郷は以前は三峯神社の講が全戸加入で行われていた」とあり、薬師堂の参道の途中に杉葉で囲われた三峯社があるという記述を見つけました。思いがけず、朝日村ではもう一社あることが確認できました。
 車に戻りカーナビを立ち上げていると、民俗資料館で世話になった彼女が現れました。たまたま居合わせた原新田の住民から「現在は木祠がある」と聞き出した、と言います。これはありがたいと図書館へ戻り、本人からその場所の詳細も確認できました。
 ここまでの経緯を長文で綴っても、彼女への感謝を書き尽くすことはできません。三峯社を二社とも対面できた以下の「参拝記」を以て、お礼に替えさせていただくことにしました。

小野沢の三峯社

 民俗資料館で頂いたリーフレット『朝日村ふるさと探訪朝日村を歩く』に載る「薬師堂」ですが、カーナビを拡大しても現れません。やむなく、これ以上省略したくとも限界という大ざっぱな道の脇にある薬師堂を、カーナビの、そこと思われる地点に設定しました。
 書けば暑苦しくなるのでその経過を省きましたが、ようやく薬師堂の入口にたどり着きました。「三峯社は参道の途中」ですから、左右に目を配りながら、後どのくらい歩くのかわからないまま、刈り払われた夏草が干し草となる過程で発する匂いを浴びながら坂道を上ります。
小野沢の三峯社 左方に、真夏の濃い緑の中では不釣り合いとも言える赤い一本柱が現れました。その頂部に“珍座”する木祠の前に回り込むと、スダレがありますから三峯社と確信しました。右のポスト状のものは、◯穴を覗いて、灯明箱とわかりました。因みに、木の根方の左側が集落から上がってくる参道です。
小野沢の三峯社 このスダレが、三峯社では扉の代わりとなる御簾(みす)です。隙間を通して「御眷属拝借之牘(ふだ)」が見えますから、三峯社と確定しました。
 札には「東筑摩郡朝日村小野沢 拾八戸」の文字が確認できました。燃え残ったロウソクの白さから、今でも、近くの人がここまで登って灯明を上げているのがわかります。
 このすぐ上には薬師堂があり、「明倫学校小野沢学校支校跡」とある村史跡の案内板が立っていました。

西洗馬の三峯社

 次は、朝日村へ行くきっかけとなった、現在は朝日村五大大字(おおあざ)の一つ「西洗馬」にあるという三峯社です。
西洗馬の三峯社 火の見櫓が見え、道脇の建物が「原新田生活センター」を掲げていますから、原新田の中心地であることがわかります。その先の辻に、話で聞いていた石造物が頭を出していますから、ようやくたどり着いたという思いがしました。実は、民俗資料館へ行く前に(三峯社を探して)五社神社の周辺を闇雲に歩き回っていたのですが、その圏内からは一つ外の辻(交差点)だったという場所でした。
西洗馬の三峯社 こちらは木造トタン葺きの祠でしたが、三峯社の証しの一つでもある御簾が掛かっています。かつての高床式の支柱はコンクリートの柱に代わっていました。『松本平の石神石仏考』では杉の葉でしたが、その後に、作り替える手間のない今の様式にしたのでしょう。これだけ“変貌した”三峯社ですが、見る人が見ればすぐにわかるのが、三峯社の「お仮屋」です。
 拝礼の後、「失礼します」と胸の内で断ってから御簾を上げると、“御約束”の「御眷属拝借之牘」が何組か納めてありました。「東筑摩郡朝日村西洗馬 七拾貳戸」とあり、もう一枚の「三峯神社御祈祷之神璽(しんじ)」には「原新田講社御中」と書いてありました。現在は三峯神社から宅配で取り寄せていることを聞いています。
 参考までに書くと、「拝借」とあるように、本来は古くなった(一年経った)御札は本社の三峯神社へ返すのが正しい祀り方です。しかし、村外からそこまで“指導”するのは何なので…。

 朝日村では三峯社を杉葉で囲うのは廃れてしまいましたが、高床と御簾で前を覆うことだけは残っていました。そのため、このページに「変わりゆく三峯社のお仮屋」とタイトルを付けました。講員の皆さんには、(余所者(よそもの)である私が口を出すことではありませんが)少なくとも現在の様式を次の世代に伝えて頂きたい(欲を言えば杉葉の復活を)と願うばかりですが、名前だけの三峯講になっている現状では無理でしょう。

南熊井諏訪神社にある三峯社塩尻の三峯社 参考までに、塩尻市の南熊井諏訪神社の境内にある三峯社(お仮屋)を紹介します。ここでは、御簾が梯子状の粗いものになっています。手を抜いた(簡略化した)というより、前面を杉葉で覆ってあるので、御簾が飾りと変化したものと考えられます。
 因みに、杉葉の代わりにカヤを使っている諏訪では、毎年造り替えています。ただし、“高床式”は一例しか知りません。
 三峯講のマニュアル『御眷属拝借心得書』では、「清浄なる地にて御自分持の山林又は庭中小高き所或は鎮守の境内等へ木材・茅・藁の類にて御造営」とあります。この中の「小高き所」が、中信地区では「高床」として作られているのでしょう。