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熱那神社 山梨県北杜市高根町

〔八幡宮〕村山西割村 社記曰く、神部(かんべ)神社又熱那(あつな)神社と称す、旁近九村村山・三割・箕輪・同(箕輪)新町・堤・小池・蔵原・五町田を熱那庄と云う、其の総社なりとそ、今は村山の総鎮守なり、康平六年(1063)二月逸見冠者義清建立す、古時は神領百貫文の地あり、券書(※証文)は盗に奪われ今信州佐久郡香坂村某寺に在りと云う、
甲斐叢書刊行会『甲斐國志』

高根町 〔八幡宮〕には「九村」とありますが、記載漏れの確認で数えると「8」しかありません。調べると、「村山・三割」は「村山北割村・村山東割村・村山西割村」であることがわかりました。『甲斐國志』の著者「従五位下伊豫(予)守 松平定能」氏とこれを読んでいる方にはどうでもよいことと思われますが、ついでなので、北杜(ほくと)市高根町までの変遷も紹介します。

明治7年 箕輪村・箕輪新町・村山東割村が合併して安都那村

昭和29年 安都玉村・安都那村・熱見村・甲村が合併して高根村

昭和30年 高根村が高根町となる

昭和31年 清里村を編入する

平成16年 須玉町・長坂町・白州町・明野村・大泉村・武川村と合併し北杜市となる。

『wikipedia』から「高根町」[歴史]

 以上のように、熱那神社は北杜市高根町にあります。世間では「清里」でしょうが、私は「高根町指定有形文化財・熱那神社本殿」を選びました。

逸見“某” 高根町『高根町誌』には、『甲斐國志』の「康平六年…」について以下の文があります。

これについて佐藤八郎氏は「康平六年には、逸見冠者義清未だ誕生せず、父の義光すら七歳に過ぎず。思うに頼義の甲斐任国中に勧請せしならん」としている。恐らく源氏勢力の甲斐進出と共に、地主神に源氏の守護神である八幡神を併せて奉祀したのが始まりと考えられる。熱那坂の故地は現在も古宮と呼ばれ、石祠が祀られている。

 長野県は「信州」なので、ブロックに分けると「東信(しん)・北信・中信・南信」とそのままですが、山梨県はそうはいきません。その一つ「逸見筋(へみすじ)」は長野県に最も近いとあって覚えましたが、同じ「逸見」でも固有人名の「逸見義清」ともなると全く馴染みがありません。逸見を「へみ」と読む方がいたら、この地の出身の可能性がかなり高いということで、この項は終わりにします。

熱那神社

 勝手がわからないので最も安易な車道沿いにある石鳥居から入りました。これは後からわかったのですが、初めて参拝する方は、南側の“古参道”をお勧めします。南といっても方向音痴に陥っているはずですから、「一之鳥居・二之鳥居・随神門ラインの表参道」と言い換えます。私の評価ですが、「二百年前からそのまま」と思われる参道は趣があります。ただし、冬の参拝はより寒さを感じることになるかもしれません。

本殿

熱那神社本殿

 大棟は山梨で多く見られる箱棟です。ここに「剣丸菱」の紋が三連装されていますが、鬼板は「丸に立葵」です。
 本殿の前面は彫刻を保護するためと思われる覆いがあるので見ることはできませんが、木組や身舎三面の彫刻に彩色の跡が見られます。
 本殿を見上げる中で、懸魚の彫刻に「何か」を感じました。ズームを最大にしたカメラのファインダーを覗くと、やはり見覚えがあるウサギの彫刻でした。諏訪市の「先宮神社」本殿と同じ形の「ウサギ」です。

熱那神社

 本体と彫刻は分業ということもあるので、本殿のすべてを同一棟梁が造ったとは限りません。しかし、ウサギだけは、熱那神社を造った棟梁が先宮神社の造営に関係しているのは間違いありません。
 境内に石造りの「熱那神社縁起碑」があります。関係する部分だけを抜き書きしました。撰文は「宮司並氏子総代一同」とあり、昭和52年の建立です。

現社屋ハ延亨二年四月 西歴一七四五年下山村大工棟梁遠藤常右衛門豊房ノ建築ニ成ルコト明カデアル

別に、高根町教育委員会の案内板があります。

保存されている棟札によれば、信州高嶋郡小和田村大工棟梁小松七兵衛熒の施工により、文政二己卯年六月九日(1819)に上棟されている。

 「宮司とお役所の見解の相違」ということですが、70年の時代差があるので、文政二年は「再建」とも考えられます。それはともかくとして、棟梁の小松七兵衛の住所「信州高嶋郡小和田村」は、今の「長野県諏訪市小和田」です。ここまでわかってくると、先宮神社は諏訪市大和(おわ)ですから、両本殿を、諏訪の小松七兵衛が造った可能性が極めて高くなりました。熱那神社に戻ります。

神楽殿

熱那神社 山梨は神楽が盛んな土地で、どんな小規模の神社にも神楽殿があることに驚かされます。現在も伝承されているので、4月ともなると各地で神楽の奉納が行われます。
 この神楽殿にも注連縄に紅白の紙垂が下がっていましたから、「高根町指定無形民俗文化財第3号 熱那神社の太々神楽」は健在のようです。
 諏訪では、お年寄りから「昭和の初めまでは湯神楽があった」と聞きますが、現在は完全に廃れています。また、神楽殿ではなく一面開きの長い社殿が多いのは「村芝居系」と言うことでしょうか。御柱祭の在る無しの違いとも言えそうですが、比較検討したことはありません。

手水鉢

熱那神社「手水」 拝殿からアーチが見事な「渡殿」が社務所まで繋がっています。その社務所の前に石の水鉢がありました。一回りして、竜の全身が4面に分けて彫られていることがわかりましたが、水道管(不凍栓)が正面に立ち肝心の竜の顔が見えません。
 本来は参拝者が手口を浄める位置ですが、その作法も廃れていると見て、社務所側から使い勝手がよいように設置したのでしょう。境内の整備計画があれば、水道管を「水鉢の角」に移設・または撤去してくれればありがたいのですが、この日限りの立ち寄り参拝者の願いでは「ヨソ者が何を言うか」でしょう。

小松七兵衛

 ネットで検索すると、小松七兵衛は「立川和四郎冨棟の一番弟子」で、「松本市指定文化財・和田神社本殿を造った」ことだけがわかりました。先宮神社発行『先宮神社誌』では「建築最も古く其の年号不詳・建築年号不詳」としか書いてありませんでした。