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曾枳能夜神社奥宮(仏経山) 島根県簸川郡斐川町 20.5.17

 展望台にあった案内板です。

仏経山のいわれ (抜粋)
 出雲風土記に「神名火山という」とあります。神名火の名火は、かくれこもるという意味がありますので、キヒサの神がおしずまりになっている山といわれております。これを今は、仏経山と呼んでいます。
 戦国時代中国地方に勢力をもっていた武将尼子経久は、この山に十二の寺を建て、薬師十二体を安置し、山の名も仏経山と改めて、尼子家の安泰を祈ったといわれます。
斐川町史より 

仏経山

 ネットからプリントした地図と空模様を見、今日のスケジュールと体調に相談した結果、(林道がありますが)麓に車を置いて徒歩で登ることにしました。今、「簸川南広域農道」とある荒神谷遺跡発見のきっかけとなった道脇に立っています。目の先の信号は、山陰自動車道終点「斐川IC」への連絡道路入口です。現在地は、簸川郡斐川町です。町境が斐伊川ですから、同じ「ひ」でも何故か統一性がありません。ところで、(全く関係はありませんが)昔聞いた「宮城県宮城郡宮城町字宮城」は今どうなっているでしょうか。

 今日は、仏経山と大黒山で2/3、残り1/3が斐川町図書館という配分です。前夜ローソンで、パン1袋と牛乳・ジュース・福寿園のお茶を仕入れました。メインが飲み物なのは、標高366mの山なら、と踏んでのことです。それにカメラとビデオを加えたザックを担ぎました。
 何かの工事現場です。全く予期しなかった「山陰自動車道」のトンネル工事でした。ここに登山者用の駐車場がありましたが、体力増強も含んだ山行なので「しまった!」はありません。“最終人家”の左を回り込むと山道です。(一気に飛ばして)辺りが開けると供養塔らしき石碑があります。案内板に「天保年間、 松江藩主松平公が斐伊川の新川が開通したとき、河川敷に逝った無縁仏を祀った」とあります。しかし、ここは「─葬った無縁仏を供養した─」とすべきでしょう。
 近くには、「神や仏の山」には想定していなかった、携帯の中継所と思われる鉄塔がそびえています。神代の昔から一人一電話の時代までこの山がポイントになっている、ということでしょうか。一旦下りて林道と合流し、その終点が「またー」というNTTの中継所でした。

曾枳能夜神社奥宮の跡

 荒神谷遺跡への展望は全くありません。一部でも見えたら、と山頂をほぼ独占しているフェンスに沿って西縁に廻り込むと、…何やら怪し気な石が。寄せ集めのような石の横に立つ石柱から「曾枳能夜神社奥宮の跡」とわかりました。

曾枳能夜神社奥宮の跡

 しかし、…読めません。それぞれの石を観察すると、仏様と神様が同居していたように見えます。最高点はここではなく、中継所を挟んだ高みにあるようです。三角点を確認すると、中継所フェンス一周の小さな旅となりました。
 「曾枳能夜」を読めませんが、字がイメージとして記憶にあります。去年、気になって寄った神社と同じ名前です。この山の麓にありましたから、その神社が里宮で、ここが奥宮の跡ということになります。

仏経山から西谷神庭谷を眺める

 供養塔がある展望台まで戻りました。出雲市から宍道湖方面は一大パノラマですが、残念ながら霞んでいます。下の白い構造物は、山陰自動車道(現在終点)料金所の屋根です。荒神谷遺跡は、この場所からは手前の小尾根に隠れて見通せないようです。地図で追うと、右の背の高い草の上辺りが…、と思われます。上は宍道湖です。

 

 島根県皇典講究分所 編『校定出雲国風土記』から、「神名火山」を書き下し文に替えて転載しました。

郡家の東南三里百五十歩なり。高さ百七十五丈、周り十五里六十歩あり。 曽支能夜社に坐す伎比佐加美高日子命の社、則ち此の嶺にあり。故に神名火山と云う。

 『風土記』では「曽支能夜社」と書かれ、「曾枳能夜神社」に比定されています。最後は、「そきのや」と読んでまとめとしました。