諏訪大社と諏訪神社トップ / 各地の神社メニュー /

守屋神社 福島県会津若松市湊町原

【新編会津風土記】 会津藩の地誌。120巻。会津藩主保科正之が寛文年間(1661-1672)に山崎闇斎(あんさい)に命じて編修させた『会津風土記』を、子孫の藩主松平容衆 (かたひろ)が享和3年(1803)に増補改訂させたもの。
『コトバンク』から抜粋

 この『新編会津風土記』に載る〔原村〕の神社を、平仮名に直して転載しました。

守屋神社 境内十六間四方免除地 村西三町余にあり、鎮座の年代を詳にせず、守屋大連を祭れり、鳥居・幣殿・拝殿あり、

 伊勢宮境内にあり、相殿三座あり、山神本村より移せり、鬼渡神同上、金澤神同上、

 神職丸山主計(かずえ)、其先は喜膳某と称す、何の頃神職となりしか詳ならず、今の主計某は五世の孫なりとぞ

 村中を白河街道が通り家数も79軒とある原村が、なぜ家数24軒の経沢(へざわ)村にある守屋神社を勧請したのでしょうか。「それだけ神社の創建が古かった・原村の草分けが経沢の出身者だった」などが考えられますが、長野県に住む私では、それ以上のことを書くことはできません。

守屋神社(原鎮座) 29.4.19

守屋神社(原鎮座)

 登録しておいたカーナビの指示通りなので、どこをどう通ったのかわからぬまま鳥居の前に着きました。この前(背後)には田圃が広がっていますが、集落はやや離れた場所に望めました。

守屋神社拝殿(原鎮座) 拝殿前には、向拝から滑り落ちたと思われる雪の山が残っていました。それを見れば、冬の寒さに比べれば各段に暖かいと言えますが、横殴りの風に雨混じりとあっては、カメラを持つ指の冷たさを意識してしまいます。
 拝殿の左後方に少しだけ写っているのが、『風土記』にある「伊勢宮境内にあり、相殿三座あり」の祠でした。表記外の諏訪神社があったのでカメラに収めていましたが、ボケていたので掲載は見送りました。

守屋神社本殿(原鎮座) 本殿は流造(ながれづくり)に間違いないと思いますが、屋根に置千木があることに気が付いてしまうと、やはり違和感を持ってしまいます。
 ここも、雪対策で、拝殿と本殿の渡り部が囲われていました。確認はしなかったのですが、完全に密閉してあるのでしょう。

 改めて拝殿の小窓、といっても四枠分だけ空いた部分から、暗くて見えない内部を二枚撮り、拝殿の大棟に飾られた神紋「三つ巴」を見納めにしてから守屋神社を後にしました。

守屋神社拝殿

 自宅でレベル補正をかけると、御簾の前に日の丸が掛かっており、左右に随身像があることがわかりました。さらに目を凝らすと、左のストーブの右奥に砲弾が置かれています。形から日露戦争の戦利品でしょうか。

『雪の墓標』

 何かを見たり聞いたりする中で、突然別の記憶がよみがえってくることがあります。今回は、守屋神社で溶け残った雪を見て、NHKが放映したドキュメンタリー『雪の墓標』が頭に浮かびました。ネットとは便利なもので、強烈な印象を持ったことで覚えていた題名に「会津」を加えて検索すると、即座に、平成5年4月30日に放映されたことがわかりました。

 奥会津の豪雪地帯、福島県昭和村。冬、見渡す限りの雪原に、4メートルほどの棒杭が立てられている。これは、家々の長男が、父母の死が近いことを察し、晩秋、墓が雪で埋もれないうちに立てておいた墓のしるし、雪の墓標である。
NHKアーカイブス保存番組資料