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矢彦神社の摂社「春宮」 辰野町小野春宮 27.10.8

春宮と御射山社

 辰野町誌編纂専門委員会『辰野町誌 近現代編』の〔神社〕から、「矢彦神社」の由緒に関係する部分を抜粋しました。

 また、伊勢の両皇大神を境内に祭り、日本武尊命の御狩場の跡に春宮・御射山の両社を建て、春は四月二十五日、秋は八月二十七・二十八日に神事を斉行し、この御射山に御神霊の渡御を願い、御幸が執り行われた。

 ここに、思いも掛けない「春宮」が登場しました。直ぐに諏訪大社下社の春宮を連想しましたが、春−秋の神事から「春宮−御射山社(秋宮)」の関係と理解できました。

矢彦神社の摂社「春宮」

 春宮について調べると、「矢彦神社の摂社」となっています。しかし、ネットで「矢彦神社 春宮」を検索しても表示せず、地図にもその文字はありません。そこで、『信州デジ蔵』内を検索すると、長野県立歴史館蔵『信濃国伊那郡小野村』がありました。明治の絵図です。
信濃国伊那郡小野村絵図 村境を拡大すると、「御射山社」の北東に「春宮」がありました。その場所を現在の地図で表すと、「辰野町小野春宮」でした。
 「辰野町 春宮で検索すればよかった」とは結果論になりますが、かつてミシャグジ社を探して霧訪山の麓を彷徨(さまよ)った時に、この分譲団地の中を通ったことを思い出しました。

 『グーグルマップ』には、〔ストリートビュー〕という機能があります。ここでは、まず「辰野町小野春宮」検索して「地図」を選択します。地図と共に小野春宮公民館の写真が表示しますから、写真内の「ストリートビュー」をクリックすると、春宮公民館の前に“立つ”ことができます。
 後は、左下の小地図を参照しながら方向(コンパス)とビュー内に表示する白い矢印[<>]をクリックすると、まるで団地内を車で走っているような感覚で“くまなく”見ることができます。道沿いにある建物(自宅も可)や案内板なら、現地へ行かずに見ることができます。

 「春宮が確認できるかも」と、〔ストリートビュー〕で団地内を歩き回ってみました。何回かの右左折を繰り返して山際へ向かうと、「春」がなくなった「宮マレットゴルフ場」の標識が見えました。何かが閃いてしばし記憶の糸をたぐると、そのゴルフ場に御柱と神社があったことを思い出しました。そういえば、御柱に「春宮」と書いてあったような…。しかし、グーグル(撮影車)はゴルフ場へ向かうこの狭い道は無視したようで、ストリートビューではその先へ進むことはできません。
 こうなれば、後は自分の目で春宮を確認するしかありません。何しろ矢彦神社の二大摂社の一社である春宮ですから、御射山社だけでは片手落ちになります。そこで、現在は10月の第一日曜日となった矢彦神社・小野神社の例祭日に合わせて、春宮を参拝することにしました。

春宮参拝 27.10.4

 小野神社へ着いたのは、10時過ぎでした。実は、小野神社が11時・矢彦神社は午後1時の神事と(勝手に)予想したので、この時間になったわけです。しかし、礼服で待機している役員に尋ねると、「両社とも一時から」でした。
 有り余る時間を消費するために、いつもはセコセコと歩き回ってしまう私ですから、春宮へは、気合いを入れてゆっくりと歩きました。道沿いの庭からこぼれる秋草を眺めますが、どこも同じとあって直ぐに飽きがきます。そこで、現われた石仏や石碑には、意識してその一つ一つを観察することにしました。
 そんなこともあって、立派な墓石に「◯◯童女」とあるのを読んでしまいました。改めて読み直すと、上に「早世」が刻まれています。他には文字がないので、幼くして逝った娘一人だけのために石塔を建てたことがわかります。しばし立ち止まって、他人事ながらあれこれと思いを巡らしてしまいました。自宅へ戻ってからの話になりますが、一般には「童女は、満18歳未満で死亡した場合につけられる位号である」とありました。

矢彦神社「春宮」 塩尻市と辰野町の境である「唐沢川」を渡ると、春宮地区です。ストリートビューでは「春」がなかった案内板ですが、新しいものに替わっていました。
 その道を山際に向かい人家が途切れると、右手に、記憶にあった鳥居があります。奥行きがある広いマレットゴルフ場を眺めてから、ややくたびれた鳥居をくぐると、その先に二本の御柱がありました。

矢彦神社摂社「春宮の子供御柱」 御柱には、右に「旭耕地子供御柱」、左は「春宮耕地子供御柱」と説明があります。御射山祭を見学した折に「諏訪のように各地区の鎮守社に御柱を建てる風習はないが、子どもが楽しめるように小さなものを一本建てる」と聞いていましたが、それが目の前にありました。「耕地」は今風に言えば「区」ですが、この辺りは新興住宅地であっても、集落名の後に「耕地」が付くことになります。

仮称「春宮・旭鎮守社」 改めて祠に目をやると、「なぜ二棟の祠が」と疑問が湧きます。矢彦神社の摂社ですから、どちらかが「春宮の摂社」としても、ハッキリとした格付けが必要です。余所者が見る不思議さも、「わかってしまえば、何のことはない」ことが多いのですが、今日は祭り日とあって、ゴルフを楽しむ人はいません。「どちらが」というより、「春宮耕地」と「旭耕地」が(御柱を建てたいが為に)別々に春宮を勧請したということでしょうか。

矢彦神社の摂社「春宮祠」 離れた場所に石の祠があります。身舎の両側に彫られた文字を読むと、何と「矢彦神社摂社 春宮追祠」とあります。初見の語彙に「おいほこら」と読んでしまいましたが、「追祠」は「ついし」でしょうか。
 どう読むかは自宅で調べることにして、「矢彦神社摂社 春宮」の文字から、この石祠が春宮であることが確定しました。こうなると、御柱がある木祠二棟は、各耕地の鎮守社と考えるのが妥当となりました。
 諏訪では、新しい団地に“小宮の御柱を建てたいがために”新しい神社を建立することがよくあります。神社の名前は「団地の名前+神社」ですから、祭神も知らぬまま小宮祭を楽しんでいます。これで、まとめというか結論は、「春宮耕地と旭耕地の人々も、春宮の境内に地区別の鎮守社を勧請して御柱を建てている」となりました。
 余話は別として、御柱のある神社には拝礼をしましたが、春宮に拍手を打つことを忘れて帰ってしまいました。