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経沢守屋神社 福島県会津若松市湊町経沢

 『新編会津風土記』に載る〔經澤(へざわ)村〕から、[守屋神社]を平仮名に直して転載しました。

守屋神社 境内十六間四方免除地 村より二町余未(ひつじ※南南西微西)の方山腰にあり、鎮座の年代詳ならず、鳥居・幣殿・拝殿あり、原村丸山主計が司(つかさ)なり

 原村の丸山主計(かずえ)が社務を兼任したと解しましたが、肝心の由緒が書いてありません。

経沢守屋神社 29.4.19

 猪苗代湖畔にある諏訪神社を参拝した後、カーナビの指示通りに湖岸から内陸部へ進みます。集落から外れ、その先は袋小路という場所で、右手の山裾に鳥居が確認できました。

守屋神社(経沢)

 湖岸には雪が残っていましたから、山一つ違うこの地も「未だ萌え出でず」と納得できます。しかし、対になった社号標に「守屋神社」が読めても、強風に雨粒が混じる様相では、その先に進む気力が萎えます。

経沢守屋神社 先行した車から降りた一団が、鳥居横の畑で農作業を始めました。高齢者がいるのを見ては、私も気合いを入れるしかありません。
 挨拶代わりに、主(あるじ)と思われる男性に「この辺りに、守屋姓の人はいますか」と問いましたが、あっさりと否定されてしまいました。額束(がくつか)に「守屋」とあるのを仰いでから鳥居をくぐります。

経沢「守屋神社」 スギ葉で覆われた石段を登った壇上に、拝殿がありました。灯籠は「守屋社」ですが、拝殿の掲額は横書きの「守屋神社」でした。
 その右に大木がそびえています。会津若松市が設置した小パネル『自然景観指定緑地』に「指定樹木 スギ1本」とあるので、ネットでよく引っ掛かる「経沢守屋神社の大スギ」とわかりました。

守屋神社拝殿 本殿は軽量鋼板で覆われているので、形状がわかりません。拝殿に戻って格子の間から覗くと、こちらも御簾が下がっていて下部しか拝観できません。左右に随身像があり、壁にも多くの額があって気になりますが、暗くてその詳細はわかりません。

守屋神社「陵」 本殿の後方にある囲いは、事前の情報でわかっていた「物部守屋の娘の墓」とされる陵(みささぎ)です。
 山背大兄皇子も登場するこの伝承は、予告編の〔聖徳太子と守屋様〕を読んで頂くとして、本殿に対して中心線が少しずれているのが気になります。その脇に何かが並んでいたとも思えますが、長い年月でそうなったと考えたほうが無難でしょう。

 経沢集落の人にとっては、私は、闖入者以外の何者でもありません。由緒などを尋ねて警戒心を和らげることもできますが、寒風を押しての農作業中とあっては、それも憚(はばか)られます。必要でない写真を何枚か撮りながら、さりげなく立ち去りました。


白河街道と猪苗代湖に挟まれた守屋神社

 守屋神社がある上経沢は三方を山に囲まれており、落人伝説があってもおかしくありません。しかし、よくある平家ではなく、物部氏です。伝承としても余りにも古すぎて、私には突拍子もない話となってしまいます。

 ここで、長野県諏訪(現諏訪大社上社)の話になります。

 こうして見ると、神長は神氏に従って前宮に来、すでに祭祀の形の整っていた洩矢の祭祀のやり方を学ぶため、千鹿頭神と数年を過ごしおよそのことが分かった段階で松本へ追いやったと思われる。千鹿頭神のいた宇良古は、当時は諏訪の北の境で、彼は更に奥州に追われたと伝えられる。
高部歴史編纂委員会『高部の文化財』〔神長は前宮にいた〕

 この説によれば、諏訪から追放された千鹿頭神が諏訪湖にも似た猪苗代湖岸に住み着き、始祖の洩矢神を祀ったのが「洩矢神社」とすることができます。社名の相違は、「長い年月で物部守屋と習合して守屋神社となった」と説明がつきます。私はこの“話”※ が大好きなので強引に結びつけてみましたが、むしろ、こちらの方に可能性があるでしょうか。

※ http://yatsu-genjin.jp/suwataisya/sanpo/tikatousin.htm

 会津若松市湊公民館『公民館だよりNo.51号』に載る〔守屋神社〕を抜粋して転載しました。

※ www.city.aizuwakamatsu.fukushima.jp/docs/2014052600031/files/20140701.pdf
 守屋の死去後、娘の那加世(なかよ)と家臣は、東国へ逃れたとされています。経沢の伝承では、経沢に来た時、娘が村西の尾根に守屋の墓を造ったとされています。さらに、物部一族の永山氏が白鳳元年(672)に社殿を建てたとされています。ただし、守屋神社と守屋の墓とするものは、全国各地にあることから、真相は不明です。
 守屋神社の多くは、製鉄のタタラと関係が深いもので、経沢の守屋神社も周辺から鉄のカスを拾うことができることから、古代に製鉄の神として祀ったものと思われます。なお、原の守屋神社は、経沢の分社です。