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法力社 下伊那郡阿智村伍和栗矢 27.6.23

阿智村 法力社は、大平神社に続いての頭蓋骨を祀る神社です。しかし、特異な神社であってもマイナーらしく、ネット地図では表示しません。カーナビでも5000番台の番地は受け付けないので、国土地理院の1/25000図(ウオッちず)を開きました。伍和も広いので戸惑いましたが、栗矢に鳥居の凡例が二ヵ所あるのを見つけました。これをナビ上の地図に求めて、地点登録をしました。これで、いつでも行くことができます。
 最近、出先でナビの設定をする難しさを避けるため、気になる場所をあらかじめ登録することを始めました。すでに、鹿児島の並立鳥居五社を登録してありますが、余りにも遠くて…。

 阿智村誌編纂委員会『阿智村誌 下巻』〔法力社〕を転載しました。

祭神 若宮霊神
由緒 むかし、この村を訪れた山伏が村人と争い、荒縄でしばられたうえ、簀巻(すまき)にされて半死半生のまま土中に埋められた。山伏はオーオーと大声で数日うめいていたあげく死んだという。一説には柿架(かきはざ)に逆さにつるして殺されたという。何年か過ぎて、人々がその事件を忘れかけたころ、村に伝染病が流行し、その病気の熱にうなされた一人がうわごとを口走った。「おれは、お前たちになぶり殺しにされた山伏だ。おれも悪かったが生き埋めとは残忍だ。まだおれの手足はしばられたままだ。このままにしておくようなら、村中みな殺しにしてやるぞ」
 村人は驚いて直ちに山伏を埋めた場所を掘り返したところ、木の根に巻きつかれた骸骨と錫杖が出てきた。村人は丁重に骨を拾ってまつり、法力社と名づけ毎年春四月、木下一族の人によって御神体の頭蓋骨を納めた祠を開き祭りを行うようになった。祭礼のときに立てる社旗に、明治二年と書かれている。

 山伏姿の武田家家臣と(本物の)山伏の違いですが、大平神社の由緒と酷似しています。同一村内に頭蓋骨を祀る神社が二社もあるのは、「神坂峠」などこの地が古代から交通の要所として様々な人の往来があったと、勝手に理由づけてみました。
 全国的にはこのような神社はそう珍しいものではないと、「祭神 頭蓋骨」をネットで検索してみました。ところが 予想は外れ、東京の「高尾稲荷神社」しかヒットしない結果となりました。

法力社参拝

 ネットの情報では「近年、法力社の森は伐採され、周囲はすっかり見通しがよくなった。昔の様子を知る人達は、風情がなくなったと感じるようだ」とありました。その通りで、先ほどの大平神社とは打って変わった開放感があります。

法力神社
space道祖神space法力社space清明堂

 道順で一軒家の前を通る道を選びましたが、犬が吠え、家人が中で“動く”気配が伝わってきます。私道とも思えるので、通り過ぎるまで気を遣いました。

法力神社拝殿 「下條街道 法力社」の標柱があります。かつて、逆方向の下條村から阿智村へ抜けたことを思い出しましたが、人馬の時代では道祖神があるこの前を通ったのでしょう。
 やや傾いた御堂の正面に立ちました。

法力神社本殿 御堂の写真と同じように、カメラを傾けて“真っ直ぐに立つ”ように撮りました。見た通り、本殿というより厨子でしょうか。ジャストフィットする大きさから、この中に頭蓋骨を安置してあるのでしょう。
 左右につまみがあるので、それを操作して蓋というか覆いを外すと、お互いに見つめ合うことができるという拝観方式だと思われます。
 “御尊顔”は、すでに『阿智村誌』の写真で拝観済みなので、このまま帰ることにしました。現在の私は「骸骨より生きた人間の方がよっぽど怖い」と悟っていますが、若かりし頃に即身仏を拝観したときの後遺症が時々フラッシュバックするので…。

 法力社の右に小さな御堂があります。「清明堂」とありますが、これは[雑記・書留集]に載せることにしました。

 長野県神社庁のサイトに『若宮社(通称)法力社』がありました。これで、「若宮社」が正式名称ということになります。詳細ページを見ると、祭神は「大山祇神」になっています。祭神が山伏の頭蓋骨ではマズイとの“指導”があって、山の神で登録したのでしょうか。