諏訪大社と諏訪神社トップ / 各地の神社メニュー /

沙田神社例祭 26.10.1

■ 沙田神社の例祭は、9月26日の「宵祭り」と27日の「本祭り」があります。本祭りと今回の宵祭りの見学は、2年の間を挟み、しかも“逆”の見聞となったので、再構成して読みやすくしました。

沙田神社例祭 左から二番目が「天保12年・永田村」とある古い幟です。これを含めた六流(ながれ)の幟が圧巻です。風が強いので、竿の軋(きし)みとパタパタと鳴る音に誰もが上を仰ぎます。「旗の語源は、この音ではないか」と思うほどでした。
 宵祭りとあるように、神事は夕方に行われます。今の時間帯では、氏子の方々ものんびり準備しているように見えました。

幟とススキ 上を仰いだ時に、竿の頂部にカヤ(ススキ)が差し込まれているのに気が付きました。「逆光で撮って秋の祭り日を表現してみました」というキャプションは置いて、氏子の方々はまったく意識していないと思いますが、かつての祭日「7月27日」を“見る目”で見ると、まさしく御射山祭です。他にも、御射山祭というか諏訪神社の祭礼を窺わせるものがありますが、後述としました。


宵祭り神事 26.9.26

 小松芳郎著『沙田神社』にある『式内社調査報告』からの引用を、関係する写真に《…》として転載しました。

沙田神社「御仮屋殿」 御仮屋殿の奥に設えてある、神事前の御仮屋です。《 毎年例祭に、鷺沢嶽より萱を刈取来てお仮屋殿の正面に仮殿を作る。此の仮殿の御神座の真下に大きな桶を置き、この桶に水を少し入れる。由緒不明なれど恒例なり 》とあります。
 宵祭りの主会場となるので、大きく取り上げてみました。毎年新調されると思われる白木の神座の背後は、形に萱が飾られています。

「宵祭り典」

 6時半、本殿内で修祓から始まった神事は一般的な式次第なので、その詳細は省きました。ただし、舞姫と神職が2列に並んで献饌・撤餞をするのは珍しいので、文字として加えました。

御仮屋へ遷座

《 直ちに古例の神事に移り、御神爾を仮殿に遷座し奉る 》

沙田神社例祭「遷座」

 7時10分に撤餞が始まり、7時25分には役員が模擬の御神宝を御仮屋殿へ遷し、それが終わると直ちに照明が落とされました。闇の中を宮司に抱えられた「御霊代(御神爾)」が御仮屋の神座に遷座します。御仮屋殿へ昇壇する写真には、御霊代の上に差し掛けられた絹傘が写っています。

萱穂と柳葉で祓う

《 萱穂柳葉六十六本を六十余州に数をとり御手祀とし邪神を鎮め平らげ天下泰平の神事古式を行う。その次第は宮司以下神職一同神前に座し、先ず宮司萱穂と柳葉数本を執持ちて左右左と祓い次の神職に手渡す。次の神職も同様に祓い次に手渡す。かくて十数回の祓いを終わり… 》

沙田神社例祭「萱穂柳葉の祓い」

 肉眼では、手の動きから、神職が萱と柳の枝で祓いながらリレー形式で手渡しているのが見えます。しかし、写真では動きがないので、単に車座となっているとしかわかりません。7時半という現在時間ですが、初めての見学だったので、ここまでは“あれよあれよ”という流れでした。

四方拝八平手

《 最後に宮司以下神職全員にて四拝八平手を打ち拝礼を成す 》

沙田神社「四方拝」

 これは、「“いつも”と違う拝礼だな」と気が付いた時は、すでに終わっていました。
 『皇祖皇大神宮』のサイトでは、「天津神にたいし四度拝八平手(伊勢神宮式 八開手という)します。これは四方結んで八方に開くという義であり、国津神にたいし二度拝四平手(出雲大社式)しますのは、天地を結んで四方に開くという義であります」と説明があります。ただし、これと同じ型式なのかはわかりません。

舞楽の奉納

《 次に舞楽の献奏あり 》

沙田神社例祭「神饌」

 拝殿で舞ったグループとは異なる舞姫が奉納しました。今となっては定かではありませんが、浦安の舞とは異なっていたような…。
 御仮屋殿が舞台形式であることから、式内社の調査が行われた当時は、まだ雅な舞楽が奉納されていたのが想像できます。

本殿へ遷座

《 御本殿に遷座し古例の神事を終わる。氏子総代も全員参列する 》 沙田神社本祭り「閉扉」

 7時45分。再び明かりが落とされた中、御霊代は本殿の神座へ戻りました。写真には写っていませんが、右側に氏子総代や役員が参列しています。
 宮司一拝ですべての神事が終了したのは7時50分ですから、初めての経験ということもあって、ここまでの流れがまことに慌ただしく思えました。また、「直ちに遷座して、直ちに戻る」ことに何かの意味がありそうですが、私には見当も付きません。

神饌

《 仮殿御遷座の際、他の神饌とともに甘酒と生瓜の切ったものを献饌するのが古例とされている 》
沙田神社「神饌」 しかし、壇上を仰ぐカメラの目なので、三方の上に何が置かれているのか確認できません。朱塗りの瓶子が「甘酒」で、左(手前)が「生瓜」。コップの水は、「本来は桶に入れる水」と想像してみました。因みに、床に置かれた三方上の小枝の束は、祓いに使った「柳とススキ」の小枝です

沙田神社「生瓜の神饌」 神事が終了したので、祭典役員に断ってから、壇上の神饌を撮ってみました。ただし、隅に寄せられたものなので、定位置ではありません。
 確かに「生瓜の切ったもの」があり、直接目に触れぬ所で連綿と続いている“伝統”に一種の感動を覚えました。また、コップの横には甘酒を入れた平盃、別の三方には洗米を入れた小皿がありました。


本祭り神事 24.9.27

沙田神社「御仮殿」 2時半に神事が始まりました。正確には御仮屋殿の「背後」という、参道が終わりとなる場所で修祓が行われ、二列になった参列者が順にお祓いを受けました。
 昨夜の神事で使われた御仮屋のカヤは外されており、そんなことがあった気配すら感じられません。

沙田神社「本殿」 拝殿に、左に神職と舞姫とその保護者、右側に国・県会議員や氏子総代などの参列者が着座しました。神事の流れは通常の神事と同じです。
 開扉(かいひ)で警蹕(けいひつ)が流れ、終わってから頭を上げると、御簾(みす)が上げられており中央に大きな幣帛が見えました。写真は、長野県神社庁の献幣使が祝詞を奏上しているシーンです。

“巡礼三反”

 祝詞奏上が終わると、拝殿の横に立て掛けられた「沙田大明神」旗を手にした隊列が組まれました。


 「時計回りに三回」の合図で動き始めましたが、その言葉に私も反応しました。「13と3周」は諏訪神社上社のキーワードですから、「沙田神社には諏訪社の祭礼が残っている」と“一人頷き”をしました。
 実は、準備の中で社務所から古ぼけた旗が持ち込まれましたが、その中で何回も「13本」と応答があったからです。すべてに「沙田大明神」と書かれていますが、私は「13」から「建御名方命の御子神13柱(摂末社十三所)」を連想しました。それが「3周」ですから、旧規の御頭祭の祭礼に近いものになりました。

御頭祭(外縣御立座)では左回り。

 拝殿内では舞姫が浦安の舞を奉納していますから、私だけが目とカメラを向けているという淋しい行進になっています。それぞれのスタイル・ペースで、御仮屋殿・拝殿・本殿の周りを3周すると、茶碗酒の直会で本日の奉仕は御役御免となりました。

沙田神社本殿 これは宵祭りでも行われた「撤餞」のシーンですが、神職と舞姫が二列で神饌を下げています。普通に見ればほほえましく映りますが、通常は神職以外の者が神事に関わることはありません。
 沙田神社固有の式次第と思われますが、別称の「“産”ノ宮」に何か繋がるものがあるかもしれない、という漠然とした考えしか浮かびません。

沙田神社の御仮屋殿

 例祭における御仮屋殿ですが、本稿では書き尽くせなかったので、別項として「沙田神社の御仮屋殿」を用意しました。以下のリンクを御覧ください。


‖サイト内リンク‖ 「沙田神社の御仮屋殿」