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守屋神社 福島県須賀川市岩瀬守屋坂

 須賀川市は会津ではなく、福島県人が言う「中通り」でした。以前、福島県で聞いた天気予報の「会津地方・中通り・浜通り」を思い出しました。

守屋神社(岩瀬守屋坂鎮座) 29.4.19

 車が揺れるほどの強風と雨に、守屋神社は直近という空き地で待機しました。ウィンドウを水滴が斜めに流れ去っていいくのを見ているだけという状況は、旅の空では耐えがたい時間の浪費となります。30分が経過して空が明るくなれば、「もう待てない」と、風が弱まる合間を見計らって行動を起こしました。

守屋神社「守屋坂」

 ちょっとした小山に登る道があり、頂点からやや下った場所に守屋神社がありました。写真の通り、「これが守屋坂!!」と納得しました。

守屋神社拝殿(岩瀬鎮座) 広い境内の奥まったところに拝殿があり、その前には土俵がありました。諏訪神社ではよく見かけますが、守屋神社として訪れた私では、その“因果”を説明することはできません。
 日が射してきましたが、執拗にぶり返す雨が正面から強風に乗ってカメラを向けるのを拒みます。

守屋神社奉納額(岩瀬鎮座) 拝殿に大きな奉納額が掛かっています。右が「物部守屋大臣」なので、守屋神社の由緒を絵解きにしたものと見ました。ところが、「旧町守屋神社御祭神白山様」「旧里守屋神社御祭神お神明様」と続くので、この神社の祭神をイラストにしたものとわかりました。

岩瀬守屋神社 久しぶりに境内社が連なっているのを見ました。この中に諏訪社もあるはずですが、立ち寄り参拝者の身ではそれを指摘することはできません。
 本殿は覆屋で、拝殿との連結部もすっぽり覆われていますから、この造りが当地の標準なのでしょう。

守屋神社(社号標と由緒) 拝殿の左方に「守屋神社」の社号標と由緒が書かれた石碑がありました。由緒はオール漢字なので、「守屋」を見つけただけで、カメラに収めるだけにしました。
 車に戻ると、集落のあちこちを桜が白く彩っているのに気が付きました。風が冷たいので、ガラス越しに当地の春爛漫を眺めました。

 カーナビに「諏訪峠」が表示しています。守屋神社と諏訪の関係が気になりますが、岩瀬図書館の閉館時間が気になります。先を急ぎました。


 岩瀬村史編纂委員会『岩瀬村史 第五巻 民俗編』から、〔守屋神社〕の一部を転載しました。

 明治10年、町守屋の村社白山媛神社と、里守屋の村杜神明神社を合祀し、守屋神壮と改祢したのが本社。「神社明細帳」は、守屋(物部)の遺族が当地に移り祀った往古の守屋神社に復したという意味の由緒を伝えるが、明冶の合祀前に同名の神杜があったかどうかは不明(中略)
 合祀後の守屋神社を「神社明細帳」からみると、祭神は、天照大御神、菊理媛命、大連守屋霊の二神一霊。稲荷神社、(中略)を境内末社とし、諏訪神社(字追分峠鎮座)(中略)を境外末社と記す。

 これを読むと、明治以前では、守屋神社の存在が微妙になっています。それを知らずに参拝してきたことになりますが…。
 また、二つの旧村を調べると、集会所やバス停の名で残っています。それを『GoogleMap』に貼り付けると、両村の中間に守屋神社を造営したことがわかりました。


 図書館で、『岩瀬村史』の他に、勧めてくれた別の資料もコピーしてもらいました。今となっては〔守屋神社〕とあるだけで書名がわかりませが、〔由緒沿革〕に以下の記述がありました。

守屋坂

 守屋神社は、第三十一代用明天皇の御代、穴穂部皇子を天に上位(※ママ)せんとして蘇我氏と争い、敗れてその難を避けるため、当地に移住してきたのが物部倭人を首長とする、大連物部守屋の一族で、住居を構えたのが現在の守屋坂であり、端をここに発する。

 「守屋神社の前にある坂道」ではなく、小字(こあざ)とわかりました。長野県の木曽にある「諏訪坂」が「諏訪神社の前にある坂道」なので、そう連想していました。

守屋神社

 祭神物部守屋霊は、下って慶応三年九月、領主正四位松本頼縄は神明宮に信仰篤く、物部守屋の霊を合祭し、その徳を奉仰したのである。やがて明治となり、神明宮の地に白山大権現を合祀し守屋神社と改称。今日に至ったのである。

 「幕末に、神明宮に物部守屋の霊を合祭した→明治に、その神明宮に白山大権現を合祀して守屋神社と改称した」という変遷になります。これで、守屋神社を両村の中間に造営したのではなく、その地にはすでに里守屋村の神明宮があったことになります。
 つまり、(伝承は別として)守屋神社は明治以降の名称ということになりました。これで、守屋村があって物部守屋の伝承が生まれた(作られた)のか、物部守屋の故事から守屋村と名付けたのか、部外者の私は訳がわからなくなりました。

諏訪峠(GoogleMap「町守屋と里守屋」を縮小すると表示します)

諏訪峠=守屋神社より西北方の地点に位し会津に通ずる唯一の道路だった。此の峠に、旧二階堂家の守護神として諏訪神を祭る。これより、諏訪峠と称したと言われ、また、須賀川の諏訪神社は、この神社を奉斎したものと、口碑に伝えられている。

 期待した守屋神社との関連は、…ありませんでした。

守屋山真福寺観音堂

守屋神社と守屋山真福寺

 守屋神社の隣ですが、一壇下がった所に観音堂がありました。