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南の地神・北の地神 29.2.17

 「並立鳥居がある(あった)諏訪神社」というテーマで、十社余りを参拝しました。その最後となる鹿児島市で、“寄せ集められた”「地神」を見ました。北海道で目にして以来ですから、地神は「日本の北と南に偏在しているのではないか」との考えが浮かびました。
 というのも、文字通りの「地の神」と解釈できる地神は、日本の真ん中に位置する長野県には存在していないからです。もちろん同じ役目を受け持つ祠はありますが、石柱や自然石に「地神」と彫られたものは見たことがありません。

鹿児島県の地神 28.12.7

 鹿児島市の清水町に、「鹿児島五社」では最上位という南方神社があります。「明治維新の変革で諏訪神社を改称して…」という話は止めて、境内最奥の石垣上に石塔を見つけました。

鹿児島市の地神

 目では12基確認できます。コケの乗り具合と形状から、左から右へ徐々に置かれたことがわかります。

南方神社の地神
地眼

 さらに近づくと、「地神・地眼・水神」が読めます。しかし、右の三基は同規格の石塔に異なる祭神名ですから、「何だ、これは」となりました。
 この時はいぶかりながらも、写真を撮るだけで終わりました。

南の地神

 同じ地神でも鹿児島では独自のものがあると考え、「鹿児島 地神」の検索ワードで調べてみました。吉井良隆編集『えびす信仰事典』からの抜粋です。

 鹿児島地方には、同族神として氏神(ウッガン)があるほか、水神地神(ヅガン)がまつられていることが多い。地神は「地元(ジガン)」とも書かれるが、こう書く気持ちには、地神を単に土地そのものの神とか農神としての地神というよりも、土地に縁深き草分けの神をまつるとの見方が潜んでいないだろうか。すなわち地主神と同様に観られる性質があったのではないだろうか。鹿児島県内でも、地神に相当するものを地主神、もしくはコージンサンと呼んでいる例がある(ことに姶良(あいら)郡内)。

 これを読むと、地神・地眼(地元)・水神は、同等のものと考えても差しつかえないことがわかります。そうなると、私が住む長野県の諏訪では「祝神(いわいじん)」と呼ぶ祠と同じもので、祭神をミシャグジや稲荷神としているのと変わりがないと理解できました。ただ、水神だけは違和感が残りますが…。
 以上で「南の地神」を終わらせようとしましたが、「なぜ“この場所”に」という疑問が気になり、終わりが見えない続きを書くことに…。

 通常なら、「明治期の神社合併」で片付けることができます。ところが、境内ではなく、それに近接した場所に並べられています。まるで、南方神社から“境内入り”を拒否されたかのように映ります。
 ここで、再び、地元では話にもならないことに、それも他県の一個人があれこれ想像を膨らませるのは如何なものか、との声がどこからか。しかし、もう何行も書いてしまったので…。

 境内ではなく石垣上の斜面に“ただ”置かれていることから、昇神祭を済ませた“ただ”の石と考えてみました。つまり、「神が存在しない石になっても廃棄することに抵抗があるので、神社に最も近い場所に置いた」とすれば納得ができます。
 その初めに置かれた一基を見て「おいどんも」という可能性も捨てきれませんが、それは(書いても)口に出さないほうがよさそうです。

北の地神

 7年前に巡拝した諏訪神社の境内にあった「地神」です。

北海道の地神
 妹背牛諏訪神社space下平諏訪神社(旧跡)

 こちらは、開拓した人々が、郷里で馴染んでいた地神を「文字通りの土地の神」として持ち込んだとしました。もちろん“先住民が祀っている地神”はあったと思いますが、開拓する人々にとっては「無神の土地」という考えしかなかったのでしょう。
 地神に縁がなかった開拓者はどうなのかというと、これが当てはまるのかはわかりませんが、長野県岡谷市の片倉組が開拓した農場にある「美唄達布諏訪神社」には、地神はありませんでした。