字(あざ)「上今井」をとって、上今井山神社としました。名前通りの山中にある神社でした。
以下は、参道入口にある『山神社の由来』の碑文です。このままでは読めない部分があるので、勝手に調べて読みやすくしました。なお不必要な部分は省いてあります。
御神体の「五丈五尺」は、諏訪大社の「一之御柱」と同じ長さです。その長さも気になりますが、「由来」の原典と思われる甲斐国志刊行会編『甲斐国志』から〔山神社〕を転載しました。
ここでは「高さ一丈方四尺」と書いています。「1丈(約3m)の柱を4尺四方」ですから、『山神社の由来』にある「高さ一丈四尺」は誤記となります。それに気が付く人は皆無でしょうから、ここだけの話としました。
山神社ですから、文政十年の狛犬は「山犬」に見えてしまいます。また、拝殿の後・お腰掛の左右という位置なので、「西ノ王子・東ノ王子」の代理とも思えてしまいます。それにしても奇怪な顔で、お腰掛とともに異界の神社に迷い込んだようでした。
お腰掛の背後に目をやると、斜面上には小さな基壇があり、一間(1.8m)はあろうかという鉄板製の剣が奉納されていました。
それにしても、何とも説明しがたいお腰掛です。上部から覗き込むと、中央の穴にはイチイの小枝が幣帛として立ててありました。側に丸石がありますが、これは枝を固定する棒を支えるためのものでしょう。
拝殿の右に屋根付の奉納台があります。覗き込むと、大下駄(げた)や縄・ヒモの束が置かれていました。由緒にある「三十三尋の縄」が、今でも奉納という形で残っているのでしょう。カラフルなヒモは、彩度の低い景観に少しでも彩りを…、ということでしょうか。
往時には横目で眺めただけの神楽殿に寄ってみました。社殿の周囲を回ると、その左右に「東王子・西王子」を模したような「木の柱」が建っているのに気が付きました。
参道脇にも単体の柱が見られますから、単純に回向(えこう)柱を連想してしまいます。韮崎の神社には同じような柱が境内に立っているのがよく見られますが、諏訪の「御柱」と違い「囲む」という設定ではありません。「所変われば」と言いますが、何とも不思議な光景でした。
平成25年になって、4月17日の例祭で奉納される神楽を見学しました。気になっていた「東西の柱」ですが、…単に幟旗を固定するための柱とわかりました。
『韮崎市誌 下巻』〔生活〕の章に、[年中行事]があります。
「三十三尋ノ縄」は「ネズミ除け」でした。しかし、私とすれば、かつての神事の名残が「形を変えて残っていた」と思いたいのですが…。