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片瀬明神 富士見町御射山神戸 24.8.17

片瀬明神跡

 事業所と民家の間にある斜面に「片瀬明神跡」と彫られた石柱が建っています。この道は旧甲州街道ですが、国道とは分離しているので、車の往来に気を遣わずにすみます。
片瀬明神跡 「甲州街道」関連のサイトやブログでは必ず「片瀬明神跡」を挙げていますから、旧街道をトレースする現代の旅人は、こんな小さな標柱でも見落とさないことがわかります。言い替えれば、「片瀬明神」で検索すると甲州街道の“道中記”が引っ掛かるということになります…。
 今日の私は「一里塚」だけを見に来たのですが、“歩く”という共通の行為の中では、彼らと同じように立ち止まってしまいました。しかし、“跡”とあっては案内板もないので、「ああそうですか」としか反応できません。

 御射山神戸区が設置した「美しい里山を明日へ」とある『御射山神戸歴史散策マップ』が、「御射山神戸」の信号脇にあります。ここでは、ネットからダウンロードしたPDF版を参考図として用意しました。

片瀬明神跡
PDF版『御射山神戸歴史散策マップ(部分)』

 左端にある「片瀬明神跡」と対になるように宮川の対岸に「片瀬明神」があり、「祝詞・お祓の神」と説明があります。
 「跡」だけ見ても片手落ちなので、自宅へ帰る足で寄ることにしました。

片瀬明神

片瀬明神社の杜

 「すずらんの里」駅から線路に沿った農道を進むと、山裾の中でもややこんもりした部分があります。案内板はありませんが、その斜面に踏み入ると、「佇んでいた」という表現がピッタリの石の祠がありました。

片瀬明神社 目的を持って訪れないと絶体にわからない場所でした。背後の斜面にはキツネノカミソリが群生していますが、石祠が一つあるだけなので、その周りを一回りすると後は帰るしかありません。
 いつの間に刺されたのか、蚊がマーキングした腕の赤い斑点が参拝記念となりました。

片瀬明神と瀬織津姫(祓戸神)

 石柱と石祠を見ただけなので、消化不良のようで落ち着きません。ネットで検索しても「片瀬明神跡を見て先に進むと一里塚が…」というような記述しかありません。その中で、「片瀬明神・片瀬神社」は富士見町以外には存在していないことに気が付きました。こうなれば、地元の富士見町図書館に行くしかありません。

片瀬明神と諏訪藩主

 小林浦光・伊藤勘編『御射山神戸区史』から、原文のママ転載しました。「片瀬明神」として「御射山道に添った西南に傾斜せる一角の地を片瀬と称している。その裾に近く、数本の古木を以て形造られた小さな森がある。これが片瀬明神である」と説明があり、以下の文が続きます。

 いい伝えによれば片瀬明神が旧道の地にあった当時旅人が馬に乗って此所を通れば、必ず馬が荒ばれて人を跳ね落としたという。人々恐れて之は片瀬明神様がたたるのだといい合っていた。たまたま諏訪の殿様(誰であるかつまびらかでない)がそんな馬鹿な事があるものかといって乗馬のまま通りかかった時、不意に乗馬が跳ね狂い、殿様を振り落としてしまった。殿様も今までの言い伝えが本当であることを悟り、今後こんな事件が起きるようでは旅人も不安であるから、別地に祀り換えよといはれ、現在の地に移し祀ったものだという
 片瀬明神は「ハラエドの大神」である。瀬織津姫(セオリツヒメ)を祀ったもの、祝詞の真先に「ツクシのヒウガのハニハラノ……ハライドの大神に」と唱えられているようにお祓いの神である。神様をお祀りする時は必ずこの神様を拝んで始めるのである。
細川隼人編『富士見村誌』では、「明治初年御射山神社
道の石鳥居より数百米北方鉄道上に移された」とある。

 これを読んで、祠の向きが御射山神戸の集落ではなく線路と並行していたことを思い出しました。これは、汽車(電車)が跳ねて“事故が起こらないように”という、旧国鉄(JR)への配慮でしょうか。

かたせ明神

かたせ明神
諏訪教育会編『復刻諏訪藩主手元絵図』

 『諏訪藩主手元絵図』にある〔神戸村〕を開くと、街道の桝形と神沢橋の間に「かたせ明神」があります。「かたせ・片瀬」の違いですが、同一と考えていいでしょう。そうなると、「片瀬明神跡」との整合性がなくなります。

かたせ明神  現地へ行ってみました。その気にならないと目に入りませんが、国道の歩道下に石祠がありました。
 銘がないので社名や祭神がわかりませんが、位置的にはかたせ明神に相当します。ただし、『御射山神戸歴史散策マップ』では「石神権現」としているので、謎が深まっただけで終わりました。

瀬織津姫

 ここで瀬織津姫(せおりつひめ)を挙げましたが、専門外とあってお手上げです。急きょ調べた(貧)知識では「祓神や水神」なので、改めて地図を開きました。諏訪大社上社方面に流れる「宮川」がありますが、旧鎮座地を基準にすると離れ過ぎています。近くを流れる「神沢川」は神戸八幡神社に関した名前ですから、いずれも「水・川」に関連付けることは無理と思えます。

祓戸神

 同書にある「御社宮司」から、以下の文を拾ってみました。

 今でも諏訪下社のお舟祭の御頭郷に当たれば、「御社宮司降ろし」「御社宮司上げ」と称し、八幡社に御頭郷総代各部落代表が集まり、神官により神事が行われている。
 だから、御社宮司と片瀬明神とは神様のお祭りするのに無くてはならぬ神様である。

 現在は、御社宮司降祭・御社宮司上祭ばかりではなく、すべての神事に「ツクシのヒウガの…」と祓詞を奏上します。これは明治以降に押しつけられた伊勢神宮を本宗とする“様式”ですから、諏訪古来の神事に当てはめるべきではありません。ミシャグジ(御社宮神)は、神長官が「降ろして・上げる」諏訪の神ですから、瀬織津姫(祓戸神)の出番はまったくないと考えますが…。

片瀬明神は川を治める神

 「水神・祓神」を否定しましたが、何の世界でも代案を出さなければ一方的と言われてしまいます。「水・川と富士見町」をキーワードにして「何が当てはまるか」を考えると、富士見町は「分水界」がある町と気が付きました。この辺りの川は富士見峠を境に流れが逆方向に分かれるので、さっそく地図を眺めてみました。

片瀬明神社
尾片瀬神社(古くは片瀬大明神)

 片瀬明神がある御射山神戸は、宮川の上流部にあります。一方の山梨県側に流れる川の上流部を探すと、尾片瀬神社が見つかりました。「尾」が余分に付いていますが、『諏訪藩主手元絵図』では「片瀬大明神」とあるので、古文献から「片瀬→大片瀬→尾片瀬」の変遷ということになります。他には「片瀬」が見られないので、「川の上流部に片瀬明神を祀った」という考え方が出てきました。

 この“川の流れに沿って”新たな展開を求めようとしましたが、《そうは問屋が卸さない》の例え通り、安易な発想にストップが掛かりました。尾片瀬神社は、かつては釜無川端にあった片瀬村の鎮守社とわかったからです。関連づけはできませんでしたが、「川(瀬)の片側に片瀬神社がある」ことは確かのようです。「祓」としての瀬織津姫命は、当地(諏訪)に限っては「お呼びでない祭神」としても、「水・川に関しては繋がるものがある」として含みを残しました。

祭神「瀬織津姫命」とは

 なぜ祭神が「瀬織津姫命」なのかは、諏訪市の「手長神社・足長神社」のように、「手・足」から『記紀』に登場する手摩乳(てなづち)・足摩乳を担ぎ出したことと同じ流れと考えて良さそうです。「瀬」の字が含まれる神を“探した”ら、たまたま「瀬織津姫命」だったということでしょう。