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勝手神社の石鳥居 山梨県韮崎市韮崎町

勝手神社
山梨県指定文化財「勝手神社石鳥居」
勝手明神 岩下村
 社記曰く、愛鬘(愛字或いは受作)を祀る。和州(和歌山県)吉野町より勧請する所なり。石華表(石鳥居)高六尺柱圍(囲)四尺許(ばかり)。命天か禄元庚午十月日二位仲書記本願と刻せり。随神二躯長禄三年造甚(はなは)だ古物なり。
甲斐国志刊行会編『甲斐国志』

 「愛・鬘」は、勝手神社石鳥居の案内板に「うけ・のり(の)」と読み仮名が振ってあります。しかし、「のり」では漢字変換の候補がありません。「手書き認識」で探すと、訓読みが「かつら」で、音読みが「ばん・まん」とわかりました。これから仏具の「華鬘(けまん)」を連想しましたが、…関連はなさそうです。「当て字もいいところ」でしょうか。
 上掲の『甲斐国志』には「【愛】は【受】かもしれない」とあるので、それを抜かした「鬘命」で検索すると、いずれも全国の勝手神社に絡んだ「愛鬘命」と「受鬘命」を表示します。試しに個別で検索してみると、「愛」の方が多いという結果になりました。しかし、多数決で「愛が正統」と決めつけることはできません。
 いずれにしても、「鬘」はモニター上では20%以上も“間引”されるウソ字です。このサイトの標準16pxの字でも5本省略されていましたから、ブログの小さな字では全く読めないでしょう。因みに、鬘は「髟+日+四+又」の“合成字”です。──愛も受もこれ以降は出現しませんから、その詮索はこれで打ち切ります。

山梨県指定文化財「勝手神社石鳥居」

 (お待たせしました)ここで、ようやく勝手神社の境内です。大きな石碑の「由緒」には、「かつては、天禄の鳥居正面の小山に本殿があった。塩川の水害は徳川時代に激しく、鎮座の小山は自らを激流にけずらせて氏子の家々を守り、遂に平地になった」とありました。
勝手神社鳥居「貫」 左は、上写真では手前の「高さ1.8m弱」というミニ鳥居の「貫」です。この「天禄元年の鳥居」は『国志』にも銘の詳細が書かれており、「勝手神社石鳥居」として山梨県の文化財に指定されています。
 傍らにある案内板を読むと、大変ドラマチックな内容を含んでいました。長文なので「抜粋要約」して紹介します。

 鳥居の貫に「時天禄元 庚午十月 奉破損(※修理) 文政二 己卯四月」と刻まれているが、『甲斐国志』には命禄元庚子とある。
 「その決め手となるべき修理以前の古い貫の所在が、昭和48年11月、韮崎市誌の文化財部門執筆委員植松又次氏により発見された。氏は精密な拓影を検討した結果、当初命禄元庚子と刻したものが、後年、天禄元庚午と改ざんされたのであると、明解に断定を下した。(この項原文)」そのため、貫の銘は命禄元年、すなわち天文九年と修正された。
 「安山岩製で、礎石上端から笠木上端までの高さ1.72m、柱間1.02mのまれに見る小型の石鳥居である。

 県指定の文化財ということで勝手神社に来ましたが、こんな経緯があったとは驚きました。それにしても、石造物の年代特定は難しいようです。長野県下諏訪町にある青塚古墳の「大塚大明神位」碑も「宝亀四年(773)」ですが、永久に確定することはできないでしょう。