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玉依比売命神社「児玉石神事」 長野市松代町 25.1.7

 長野県神社庁の表記は「玉依比賣命神社」ですが、以降は、広く使われている「玉依比売命神社」としました。

 昔の話ですが、ネットで「児玉石」を検索したことがあります。その中で玉依比売命(たまよりひめのみこと)神社の「児玉石神事」を知り、強い興味を持ちました。しかし、神事が行われるのは1月7日とあって、年が改まる度にその名称が記憶の底から顔を出しても、見学する機会を逸していました。

 その理由は、長野県の北端に位置する長野市の雪の多さです。気温は諏訪のほうが低いのですが、雪道を走るとなると、なかなか出掛ける踏ん切りがつきません。ところが、今年は過去数日の天候から判断すると積雪はなさそうで、当日も晴れの予報が出ています。この状況から、にわかに玉依比売命神社行きが具体化してきました。
 調べると、長野自動車道「長野IC」の極近にあります。カーナビで確かめると自宅から約1時間半の行程で、(新年早々から貧乏くさい話ですが)諏訪ICからだと、100キロ未満が限度の通勤割引がフルに使えます。しかも、見学者が少ないと予想される月曜日です。これだけ好条件が重なれば、もう行くしかありません。

現在は、内容が変わっています。

玉依比売命神社

 諏訪では通勤時間帯の渋滞に出鼻をくじかれましたが、神事開始前には着くことができました。拝殿の内外ではまだ掃除をしていますから、寒い時期の15分待ちはベストのタイミングでした。

児玉石神事 御田祭の翌七日早朝より、神社の神宝で県宝にも指定されている古墳時代からの翡翠の勾玉・管玉などを主とした「児玉石」の数を改める。平成二十三年は八百二十七個。今も玉の数の増減でその年の吉凶を占う。

境内『玉依比賣命神社 由緒』から、〈主たる神事〉

玉依比売命神社 一人だけ動きを止めている余所者を見かねたのか、「上がれ」の声が掛かりました。拝殿内では、防風とストーブの恩恵を受けることができますが、扉は開放されているので、靴下とゴザ一枚の断熱材では足先の冷たさが徐々に募ってきます(実は、脱いだ靴には使い捨てカイロが…)。
 発熱した靴を手放した代わりに、最良の撮影場所を確保することができました。宮司にビデオ撮影の可否を確認してから三脚をセットし、9時を待ちました。

児玉石神事

 明らかに他所からの見学者とわかるのは、私を含めて二人だけでした。これは、今日が2日続きの神事の後半で、しかも月曜日という巡り合わせにあると思われます。修祓・祝詞奏上・拝礼・玉串奉奠と、いつもの神事が終わると児玉石神事が始まりました。

児玉石神事 宮司は男性ですが、玉依比売命神社というわけではないと思いますが、後方に女性の神職が二人座っています。
 神事の内容は、傍らに置いた珠が入った木箱を案に据え、宮司が一つずつ珠を取り出してカウントするというものです。それを、神職と氏子二人が「正」の字で記録していきます。詳細は“ビデオの一見に如かず”としました。


ストーブの燃焼音が入っていますが、まずはビデオを御覧ください。

 手がかじかむのでしょう。全員が時々火鉢に手をかざします。「これが児玉石!?」と思える「石」を含む800回以上のカウントですから、終了したのは10時半です。最後は宮司が珠の数の増減で吉凶を占って児玉石神事は終了しました。今年の神託は、ビデオの後半でお聞きください。

児玉石

児玉石 拝殿の中央にセットされた陳列ケースに、本日のみ公開という児玉石の一部が並べられました。神事では宮司の指に隠れて見えませんが、今、目の前には、埋蔵文化財に相当するものから近代に奉納されたカラフルな色形のものまで様々な石が並んでいます。
 今回は、神事より児玉石のほうが目当てだったので、子供の頃より勾玉に“異常な憧れ”を持っていた私は十分に満足しました。一つ譲って欲しいのですが、数が減じると「凶」になると言うので…。

児玉石 神事で最初に読み上げられるのが、左下の「天下泰平ノ石」です。順に「寶祚延長(ほうそえんちょう)ノ石」「氏子繁昌ノ石」と続きますが、いずれも「子持勾玉」です。


真田家奉納ノ石 上写真の箱には、四番目に読み上げられた「真田家奉納ノ石」が見当たらないので、ビデオで確認してみました。“その時”には宮司は何も手にしませんから、左の箱にある「大石」と確認できました。この角度では見えませんが、穴の中に「水晶」があります。

五穀御判神事(ごこくごはんしんじ)

 案内板にある〈 主たる神事 〉の一つ(続き)です。

児玉石神事の横で氏子総代たちが集まり作物の神占いを行う。稲や大麦、小麦など九種類の穀物の作柄の上・中・下を占う。

五穀御判事 「横で」とあるように、児玉石を数える拝殿に付帯した祝詞殿では五穀御判事が行われていました。ところが、途中で気が付いたので、甕に納め終わった場面しか撮影できませんでした。
 気になる蓋書きを読むと「奉納神前児玉石箱 為現世安穏也 成津勧右衛門 正保三丙戌年正月吉日 友光」とあります。調べると1646年という古さなので、神事はともかく、この時代でも児玉石の名称があり児玉石が奉納されていたということがわかります。また、明暦年間の記録では「総数60余」とあるので、この箱にすべての児玉石が収まっていたことも考えられます。さらに、写真では甕と箱がジャストフィットしているので、当時はこの甕に児玉石を納めていた可能性があります。
 現状では御判神事に使う甕の収納箱として使っていますから、氏子にはこの箱が360年前に作られたという意識はないかもしれません。通常は本殿に置かれ、年一回の“御開帳”ですから、代用箱であっても現在まで長らえたということでしょう。これは「附(つけたり)」として県宝に指定するべきではないかと考えてしまいました。

 児玉石の神事に続いて包換と呼ぶ神占いをおこなう。前年の正月七日神前に供えた紙包みの蒸飯についた麹(こうじ)のつき具合によって、稲、麦、大豆、粟等の作柄の上中下を判定し、来年のために神前に供えた蒸飯を十二の小紙に包み、それぞれに作物名を記してひとまとめにして、甕に詰め密閉して神前(奥殿)に供え御神事を終了する。
信濃毎日新聞社編『松代/歴史と文化』

児玉石の“故郷”

東条の集落

 玉依比売命神社の前から、正面に広がる山並みを撮ってみました。麓は見るからに古墳が密集していそうな景観ですから、耕作中などで“発掘”された勾玉の奉納が数多くあったことが想像できました。

 『信濃国埴科郡池田宮縁起』の詳細は、以下のリンクで御覧ください。


‖サイト内リンク‖ 『信濃国埴科郡池田宮縁起』