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皇大神宮社 茅野市安国寺 29.11.16 改稿

 茅野市から高遠に向かう国道152号は、「安国寺」の信号から始まります。しかし、平成10年にバイパスができてからは、「ひっそり」という言葉が書けるほど車の通行がありません。

皇大神宮社と安国禅寺 その旧国道に入ると(写真では左から右)、道沿いに安国禅寺の鐘楼門が現れます。
 その左にある鳥居が「皇大神宮社」ですが、鐘楼門の存在感が余りにもありすぎて、皇大神宮社の参拝という目的意識がないと目に入らないかもしれません。

皇大神宮社 23.7.13

 旧国道脇にある案内板『安国寺前の古戦場』では「安国寺門前のこの辺一帯で両軍の大激戦があり、七百余人の戦死者を出して」と読み、安国寺の駐車場にある『泰平山 安国禅寺の由来』では「度重なる宮川の氾濫と戦乱によって次第に衰微した」と、予備知識を得ました。
 本来の目的である、鳥居脇にある案内板です。

皇大神宮社
 江戸時代の諏訪藩主手元絵図には、この社は「鎮守」と記されている。安国寺村の産土神であったことをうかがわせ、祭神は天照大御神である。一書によれば諏訪明神・秋葉神・妙義神・三宝荒神・金毘羅神・北野天満宮・愛宕神・水劔神など諸神を合祀したとあるが、境内には御鍬社と天満宮の石祠があり、元禄十六年(一七〇三年)の石燈籠二基が現存している。明治二十六年に拝殿が建設され、例祭は九月十七日であった。十月一日の甘酒祭は村中を楽しませ、子供たちによる火祭の場所でもあったが、戦後しばらくして廃絶した。
昭和五十四年八月 安国寺史友会

 余りの暑さに、一息つくというか、木陰の中でゆっくり読んでみました。

皇大神宮社 拝殿の背後に廻ると、樹下と板垣に囲まれた環境に暗さと湿気を感じます。その中央の基壇上に並んだ祠二棟ですが、どちらが案内板にある「御鍬社・天満宮」なのかわかりません。
 それより、身舎が、諏訪では「籃塔(らんとう)」と呼ぶ形状に酷似していることに違和感を持ちました。

皇大神宮社の灯籠 案内板に書かれている二基の燈籠があります。形はうり二つですが、(多分)安山岩とアズキ色が特徴の神宮寺石です。竿は自然石の上にコンクリートで固定されていますから、台石は失われたようです。

 「この辺り一帯が湖になるほどの大洪水が何回もあった」ことを思い起こすと、台石は大破または行方不明、竿のキズは流れてきた大石が当たった跡とも思えてきました。

 帰り道でも頭を焼かれ、再びシャツとズボンが体に貼り付く不快感を呪いながら今日の行動を後悔しました。

『安国寺区誌』

 安国寺区誌作成委員会『安国寺区誌』は、〔村の鎮守〕に「安国寺区の鎮守は皇大神宮であり、祭神は天照大御神と伊邪那岐神である」と書いています。続く〔安国寺村鎮守のいわれ〕では、「明治の初めに県へ上申した資料によれば」として以下を挙げています。

 当安国寺村社は皇大神宮伊雑(いざわ)皇宮二神を祀る所にして、(中略)降て暦応二己卯年、勅詔を以て安国寺を建置せらるるや伊雑皇宮を同寺にて深く信仰し、干沢城の除災を祈願し修行す。故に例祭神事共全て同寺の攝兼(兼摂?)に皈(かえ)す。(中略)
 
文明十四壬寅年五月二十五日より、霖雨洪水のため上川暴漲(ぼうちょう)、安国寺塔堂悉(ことごと)く流亡。依って官現今の地をとし(意味不明)安国寺再建す。其の時寺域の西北隅を畫(画・かく※くぎる)し神殿を建て、伊雑皇宮並に皇大神宮を遷座し以て合わせ祀る。現今の社壇之れなり。是より当社の神事挙げて安国寺兼摂(けんせつ※兼任)す。(中略)
 寛永元甲子年月日不詳大洪水、社壇並に安国寺建物再び流亡既に廃絶に皈せんとす。(中略)同十八年辛己社壇再建稍(やや)旧慣を存せり。(中略)伊雑皇宮は俗に御鍬様と称し耕作の守護神にして里民厚く信仰し、(後略)

 「神社の例祭・神事共全て安国寺の兼務」とあるので、前述の“籃塔風神祠”は、寺方が神祠を造ると“こうなる”ということでしょう。
 それはともかく、案内板には「境内には御鍬社と天満宮の石祠があり」と書いていますが、ここでは「伊雑宮(=御鍬様)・皇大神宮を合わせ祀る」とあります。この相違に悩みましたが、「伊雑宮に皇大神宮を合祀した(祠は一棟)」と読み直すことで解決できました。

「皇大神宮社絵図」 『安国寺区誌』の〔第三節 鎮守〕にある「皇大神宮絵図(安国寺区蔵作者不明)」です。明治26年に造られた拝殿が描いてあるので関心は薄かったのですが、皇大神宮社の右に祠()があることに気がつきました。
「皇大神宮社の境内社」 鳥居は現在ありませんが、絵図には「木祠」で描いてある場所に、御柱が建つ石祠があります。身舎の裏に「昭和四十三年十月・安国寺中」と彫られていますが、社名は不詳です。
 皇大神宮社の案内板に「諏訪明神・秋葉神・妙義神・三宝荒神・金毘羅神・北野天満宮・愛宕神・水劔神などを合祀した」とあるので、北野天満宮を除いた各神を合祀した総社でしょうか。