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御名方神社 島根県出雲市斐川町名島 29.7.16

御名方神社 29.6.5

 「出雲大社を表敬参拝しないのか」との声が聞こえそうですが、その前を素通りして東進しました。斐伊川を越すと、田園の中に程よい間隔で住宅が建ち並ぶようになりました。その中にもやや大きな緑が目立つのが、御名方(みなかた)神社でした。
 駐車場が見当たらないので本殿裏の空きスペースに寄せると、裏から見た境内ですが、余りにも明るく開放的な境内であることに戸惑いを覚えました。そのまま拝殿に向かうのは避け、境内外周の道を伝って、やや離れた鳥居をくぐりました。

御名方神社

御名方神社 「御名方神社」の社号標を前にすると、鳥居・参道と社殿の向きが同軸でないことに気が付きました。
 祭神による“仕様”なのか、長大な時を経ながらもある時期に起こった史実の一コマを残しているのか、頭をひねるばかりです。

御名方神社「本殿」 大社造の本殿に、拝殿が渡殿で合体しています。拝礼の済ませてから拝殿内を拝観すると、社額は「御名方社」でした。
 実は、御名方神社であっても、建御名方命を祀っていないことは、下調べの中で承知していました。それでも「もしかして諏訪社」との思いが強いので目を光らせますが、“かつては諏訪社”を掘り起こすことはできませんでした。

御名方神社と斐伊川堤防
斐伊川の堤防

 最後の見納めに、御名方神社の向こうに存在する斐伊川の堤防を入れたものを一枚撮りました。もう宍道湖に流入しようかという場所なので、その高さから、天井川と想像してみました。

建御名方命よ、何処(いずこ)

 サイト『島根県神社庁』の〔県内神社一覧〕では、御名方神社の祭神を

大国主命・事代主命・吉備津彦神

と書いています。“ここ”になぜ吉備津彦神なのかという疑問ですが、「ある時期に、建御名方命を吉備津彦神に替えた」とすれば、即座に氷解します。「それは、長野県諏訪人の論理だろう」と言われようとも、何かヒントが、とネットで閲覧できる『雲陽誌』を開きました。

 ところが、鎮座地「斐川町名島(なしま)」から[名島]を旧村名としましたが、…載っていません。改めて各村の神社を順に追うと、[別名(べつみょう)]に「若宮 建御名方命」を見つけました。一文字の[名]だけが同じという村名ですが、鳥屋(とや)神社を除いては、他村に建御名方命の名はありません。

 断定へのアプローチとして、並記された「長壽寺」を地図で探しました。


斐川町名島と別名(旧別名村)

 ご覧のように御名方神社の直近に「長寿寺」があり、「別名村の若宮」が御名方神社と確定しました。

江戸時代中期は「若宮」

 『雲陽誌 巻之八』〔出雲郡〕から、[別名]の一部です。

若宮 建御名方命を祀、本社五尺拝殿一間半に三間、天正八年(1580)宍戸安芸守隆家建立の棟札あり、古老伝に云鳥屋神社を勧請す、其後此社を若宮という、祭礼五月朔日、御座替の神事、九月十九日御供神楽を献ず、

荒神 廿ヶ所

長壽寺 禅関山派別松山という、本尊阿弥陀如来、左右観音・勢至、天正八年建立すといいつたう、

宍戸安芸守隆家

 「若宮」に記載された「宍戸隆家」がキーマンになりそうと考え、少し調べてみました。生没が1518−1592年ですから、「天正8年」の棟札は彼が62歳の時のものとなりました。出雲滞在は史実としてあるので、天正8年前後にはこの辺りに居を構えていたことが想像できます。

『ウィキペディア』〔宍戸隆家〕
 棟札には神社名が書いてあるはずですが、『雲陽誌』は触れていません。勧請元が鳥屋神社なので、初期御名方神社を便宜上「諏訪社」としました。

 一行だけという宍戸隆家ですが、彼の事跡から、御名方神社が誕生した時代を想像してみました。

御名方神社「本殿」
掲額は「御名方社」

 出雲の諏訪社は、中世から戦国時代にかけて、武将が信州の諏訪神社を勧請したものがほとんどです。そのため、再建(修築)ではなく宍戸隆家が創建した可能性があります。古老伝から、彼(の場合)は、たまたま近くにあった鳥屋神社(祭神建御名方命)を勧請して諏訪社を新たに建造したと考えました。手っ取り早いと言うより、戦国武将とあって、信州まで往復する余裕などなかったとするのが実情でしょう。

若宮から御名方神社へ

 『雲陽誌』の編纂は享保2年(1717)ですから、その頃は「若宮・建御名方命」で間違いないでしょう。それから明治まで150年という時代を考えると、祭神の変更と御名方神社への改称は明治期の神社再編しか考えられません。
 ここで改めて調べると、明治8年という早い時期に「別村と北村」が合併して名島村が成立したことがわかりました。そうなると、一村に一神社、つまり「村社」をどちらの神社にするかという問題が発生します。
 一方で、『雲陽誌』では北島村も[若宮]ですから、社名については[若宮神社]が両村の納得できるところとなります。
 このように、新たに発生した村と神社の合併が、私の考えてきたシナリオには逆風となりました。やはり、ネットの情報だけで信州から出雲の神社について“あれこれ”もの申すのは難しい、ということになりました。

 “諏訪”の声が余りにも高すぎると、自戒もあって削除しましたが、私の強い想いから、

何か(反諏訪社勢力の陰謀等々)があって鳥屋神社へ祭神建御名方命をお返ししたが、妥協策として“建”を一字外した“御名方神社”を新社名とした。

を復活させました。

出雲国発祥の地!?

 「北島村と別名村の合併」については前述の通りですが、出雲で「北島」を挙げれば「千家」も挙がるように、この辺りの旧村には「千家村」もあります。両村とも、出雲大社「出雲国造家」縁の村ですから、出雲国の発祥はこの地と言えそうです。
 こうなると、祭神は「大国主命・事代主命・吉備津彦神建御名方命」としたほうがふさわしいと思えますが、『出雲国風土記』には建御名方命は存在しないという厳しい現実が…。