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宮川神社の三峯社 上田市中之条 28.10.21

 「三峯社」で画像検索したら、「お仮屋に間違いない」という写真がありました。掲載元を表示させると、神社関連のサイトではなかったのですが、宮川神社の境内社である「三峯社」とわかりました。
 その宮川神社が長野県内の上田市にあることがわかると、後は出掛けるしかありません。

 朝は寒く日中は汗ばんだという10月20日は、夜のニュースでは北海道では雪が積もった日でした。金210円也の有料道路「平井寺トンネル」を通るのが誤算でしたが、効率よく宮川神社に着きました。駐車場がないので、気が退けますが、隣のコンビニを借用しました。

宮川神社の三峯社
検索写真とほぼ同じ構図の三峯社

 検索写真では支柱の上部が細くなっているのが疑問でしたが、下部の基礎柱にボルト締めをした方法とわかりました。

宮川神社「三峯社」 三峯社は、前面がスダレかそれを簡略化したものが多いのですが、ここでは竹が使われていました。「所変われば…」とよく言いますが、私には初めて見る“型式”となりました。
 紙垂(しで)はその白さから今年掛けられたようですが、本体のワラ(カヤ)は灰白色化し、すでに朽ち掛けています。ところが、それが幸いして、抜け落ちた部分から内部が観察できました。

 変色して墨書の文字も読めない木札は、三枚ともコンパネの床に置かれた状態でした。横に渡された棒(左上)にヒモが掛かっていますから、それから抜け落ちたのでしょう。すでに講は解散したので新しい「御眷属守護」を納めることがなくなり、その結果、葺き替えも行われることがなくなった経緯が想像できました。

 本体は、支柱とともに傾いています。将来、この場所から三峯社が消える日も近いかもしれません。

宮川神社

 ここでは本社が従なので、紹介が後になりました。

宮川神社

 この鳥居まで続く道が流鏑馬ができるほど長く、途中には大木が一本ある(残っている)ので、かつては長い参道であったと思われます。後記となりますが、参拝時には知らなかった「武田信玄神願の綱」とあるのが、鳥居の向こう側に掛けられた注連縄です。

宮川神社本殿 案内板(由緒書)がありませんが、拝殿内の掲額に、「祭神 応神天皇・神功皇后・玉依比売命」と書いてあります。応神天皇の横に小文字で「八幡宮」と添え書きがあるので、宮川神社は八幡様となりそうです。
 定紋幕は、五七の桐と(数えていませんが)16花弁の菊でした。上写真は本殿ですが、鬼板の神紋は五七の桐でした。
 汗ばむほどに上がっていた車内温度に閉口しながら、次の目的地である鹿教湯(かけゆ)温泉を目指しました。

武田信玄神願の綱

 由緒がわからないので、ネットで探しました。上田城南地域協議会『城南地域の自然的・歴史的資源のまとめ』とあるPDF文書が唯一のものでした。

宮川神社
 天文21年(1552)の上田原合戦の際、武田軍が必勝の神願を行い、戦後に永銭30貫文を奉納してから、毎年正月15日に武田信玄神願の綱と称するしめ縄を張り、飾り付けをします。

 試しに、ここにある「武田信玄神願の綱」で検索すると、blog『信州小諸通信』に〔宮川神社・信玄心願の綱〕がありました。神と心の違いがありますが、〔宮川神社の由来〕が載っています。文末に「平成19年9月 宮川神社」とあるので、この由緒書が境内のどこかにあった可能性が出てきました。今さら再訪できないので、ここから転載しました。

 古くは八幡神社と称していたが、文政10年(1827)より宮川神社と社号を改め、明治6年(1873)村社に格付けされた。当時は境内に金毘羅、稲荷、蚕影社、秋葉社の4社が祭られていた。明治24年(1891)に中之条字日尻町から日尻社を移し、明治40年(1907)には中之条字天神堂より天神社を移している。
 社伝には、建歴元年(1211)流罪を許された親鸞上人が立ち寄ったとする記述がある。また武田信玄と村上義清が戦った天文21年(1552)上田原合戦の際には、武田軍がこの神社で必勝の神願を行い、陣を構え、戦後に永銭30貫文を奉納している。
 それ以来毎年1月15日に、鳥居の後の大木に信玄公神願の綱と呼ばれる注連縄(しめなわ)を張る神事が行われ、現在もそれが堅く守られ受け継がれている。綱の上に立てられている12本の御幣は武田氏の古例にならい武者を型取ったもので、こうした御幣を立てた注連縄は県下では他には例を見ないと言われる。

御幣 一枚だけ撮っていた前出の写真を拡大したら、小さいながらも人型(ひとがた)の御幣が12枚確認できました。この神事が今でも残っているのを知って、(心の中で)拍手を送りました。三峯社もその造作を継承してくれればよいのですが…。

御幣 画質は落ちますが、強制拡大したものを加えました。


神願と心願

 「神願」を調べて“神の願い”とわかりましたから、「武田信玄神願の綱」は「心願」が正しい用法でしょう。ただし、古来から伝わってきた言葉とすれば、とやかくは言えません。ここで思い起こしたのが、かつて諏訪大社上社前宮にあった「神願門」です。生き神であった大祝屋敷の門ですから、まさに「神願門」と納得しました。