国特別史跡「大湯環状列石」は過去2回訪れていますが、今回は“ピラミッド”として騒がれている「黒又山」に登ってみました。この時に、別名「クロマンタ」とある山頂に本宮神社があることを初めて知りました。
帰宅後、それらの情報を集める中で「縄文ピラミッド・黒又山・山頂祭祀・本宮神社」の関連性に強く興味を引かれました。
まずは、『青森県神社庁』から転載した〔本宮神社(通称お薬師さん)〕を紹介します。
[由 緒] 創立年代不詳
社伝によれば、万治己亥2年に中通四ヶ村一同にて、大己貴命を祭神とする神社を建立したとされる。別伝によれば、阿倍貞任の一門の本宮徳次郎が、薬師堂を建立したのが、創祀といわれる。
本宮神社の社名は、明治以降のものである。慶長3年の創建という伝えもある。明治40年9月、字倉沢稲倉神社、字風張愛宕神社、字宮野平八幡神社を合併する。大正4年1月、大湯町大湯神明社に合併される。昭和27年9月、神明社より分祀し創立す。
次に、国土交通省『国土画像情報』から、二枚の航空写真をお借りしました。現在はネットで衛星写真を参照することができますが、この手のものはできるだけ古いほうが、と考えたからです。
黒又山とは方角が逆ですが、「くろまんた←」と書かれた看板に従いました。これだけ有名になったので駐車場完備なのかと思いましたが、何か様子が変です。戻って看板を確かめると、「クアタウン・くろまんた」でした。
「くろまんた(クロマンタ)」しか目に入らなかったのがここに迷い込んだ原因ですが、整然と区画割りされていることから、温泉付きの分譲地とわかりました。まだ更地がほとんどなので、これも何かの縁と車を駐めさせてもらいました。県道脇に立つと、斜め右先に「黒又山」の小さな標識が見えました。
山麓に植林された杉が連なっているのが見えます。その太い茶色の幹が、黒又山を小山ながらどっしりとした風格あるものにしています。
両部鳥居が現れると、それが登山口でした。手作りでしょうか、珍しい横書きの鳥居額が掛かっています。右には「本宮神社の由来」があり、何の知識がないまま来た私は大助かりでした。
神仏折衷の文から、明治初期に分が悪くなったお寺を、建立者の名前をとって「本宮神社」に(すり)代えた、というのが真相でしょうか。名前だけ神社では神仏双方に対して失礼ではないかと思いますが、私は「ピラミッド」が目当てですから強くは言えません。
麓から見た傾斜では直登がこのまま続くはずがない、の予想通りジグザグが始まりました。何回かの方向転換の後、案内通りの15分で頂上に出ました。「ピラミッド」と騒がれている山ですが、歩く限りでは「ただの山」でした。
まず左の小祠二つに挨拶をしてから、昭和5年とある薬師堂の社殿額を仰ぎました。始めの二文字が読めませんが、案内板から得た情報で「薬師」神社とわかりました。本宮神社ではなく薬師神社です。案内板は「私設」のようですから、その表現にゆらぎがあるなどと指摘するのは酷でしょうか。
神社なので「拝殿」をのぞくと、正面の額は「薬師神社」でした。一方、右の壁には、「本宮神社」の白い額が掛かっています。
中央の、本殿なのか厨子なのかわからない中に、薬師如来と思われる小仏像が安置されています。その前に御鏡が置かれ、案(机)には、ロウソクと線香立てという構成です。いくら「神仏混淆」という便利な言葉があるといっても…。
ピラミッドとは名ばかりの小山と、一向に蒸発しない汗と腕にたかる蚊に耐えかねて下山しました。巷では盛んに「ミステリースポット」と騒いでいますが、私には神仏混合の方がミステリーでした。
大湯環状列石周辺は、すっかり公園化されていました。前回はプレハブの「資料小屋」で地元の老人クラブが応対していましたが、今や大湯ストーンサークル「館」で、若い女性職員が(タイミングが合えば)笑顔で迎えてくれます。ロビーは無料なので、エアコンの冷気を浴びながら自販機の熱いコーヒーが飲めるいう贅沢を味わえます。その代わり、それに背を向ける決心がなかなか付きません。
壁に遺跡周辺の地図が貼ってあります。話は昨夜に戻りますが、車中泊のため、翌日(今朝)の朝食を確保するためにコンビニを探しました。しかし、当てにしていた大湯の温泉街にはありません。その灯りもとっくにバックミラーから消え、左右は田圃の中に明かりがチラホラという中で、カーナビが思いがけなく「大諏訪」を表示しました。
その「諏訪」がこの地図のエリア内にあるのかわかりませんが、それらしき場所に「○○神社」と書かれています。字が小さ過ぎるというか老眼と言うか、通り掛かりの職員に代読をお願いしたところ、ポケットから眼鏡を取り出しました。仲間がいたと安心したのですが、期待はずれの「薬師神社」でした。
「この辺りに諏訪神社はありますか」と問うと、「諏訪神社は聞かないが、この辺は諏訪姓が多い」と言います。昨日の最終探訪スポットが、青森県三戸郡南部町の「諏訪ノ平駅」前にある「諏訪神社」でしたから、「大湯にも諏訪神社があった」は、胸の高まりだけで終わりました。
米軍が撮影した大湯周辺の航空写真から「黒又山」を切り抜きました。
これを見ると、参道の並木と本宮神社の周囲及び周辺部の一部に大木があることがわかります。
その他は、木種の違いによる斑が見られないので、植林した後の低木であるように思えます。戦中に、建材や燃料として皆伐されたのでしょう。
この状況では、“有名な”地中レーダーでの調査結果は、今は埋もれた根の部分が凹凸に写っただけとも思ってしまいます。
いつの時代でも、山容が整った山があれば、その山頂に祭祀場を設けるのは珍しいことではありません。しかし、それに「ピラミッド」を冠するのは行き過ぎでしょう。「日本は日本」ですから「山頂祭祀跡」だけで十分と思います。
また、時代も背景も違う「縄文時代の遺跡と近世以降の神社」を同軸に捉えて「角度が・ラインが」と唱えるのも無理があります。しかし、今やそれらの論議は下火になっていますから、しだいに淘汰されて落ち着いたということでしょう。
■ 測定値をグラフ状に表したもので、段差があるわけではありません。
ここに、黒又山山頂を中心とする半径50mの断面図を三方向並べてみました。
比較すると、下段の大湯環状列石から見た図のみに階段状の壇が認められますが、左右が対称ではありません。
これを見れば、木種(樹高)が違う木が生えた山の形を見て、それをピラミッドと称するのは無理があります。人為的に作られた山なら、もっと“それらしく”造成すると思いますが、…いかがでしょうか。
大湯環状列石の一つ野中堂遺跡の「立石」を前景にして黒又山を撮ったものです。自宅で見ると、その上空にUFOが三羽飛行していました。
それは無視するとして、黒又山の背後に霞んだ山のピークが写っていることに気が付きました。地図で調べると「矢筈山」でした。
写真では、二つの山のピークとこの立石は一直線に並んでいます。山は動かしようがありませんから、この場所へ石を立てて意図的に「マークを付けた」ことは考えられます。
「ピラミッドや◯◯ライン」は眉唾としか思えませんが、大湯環状列石と黒又山を経て矢筈山まで延びる「線」をGoogleマイマップに貼り付けてみました。