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千鹿頭山の「結神社」 松本市神田 23.6.25

 サイト『1DAY里山漫歩』の「千鹿頭山」で、「神田口の朱塗り鳥居をくぐり、すぐ左に結の社(むすびのやしろ)という縁結びの石神様を見つける。仲むつまじい小さな男女像が愛らしい」とあるガイド文を見つけました。道祖神のようにも思えますが、「結の社」とあるので「宿世結の神」がルーツである可能性を思いました。

 梅雨の晴れ間を狙ったのが「関東では36°を越えた」となった日、「結の社」を自分の目で確かめるために千鹿頭山へ行って来ました。
 神田側の赤鳥居をくぐると、直ぐに山側に登る石段があります。前回気がつかなかったのは、松の梢越しに「石尊」だけが読める石碑が見えたのが原因でした。関係ないとやり過ごしたその飛び石を、今日は目的を持って登りました。
 左へ回り込んで石祠を正面にすると、傍らの石の角柱も正面になり「結神社」を表示しました。「結の社」ではなかったのですが、4面の字を追ってみました。

結神社(むすびのやしろ)

祭神 高皇産霊神・神皇産霊神

古より縁結びの神として信仰を集めている社です。
社移転 平成十四年六月吉日建立

 祭神が「宿世結神」ではなく「霊神」です。木曽御岳山にあるおびただしい数の「◯◯霊神(れいじん)」が頭にあったので、違和感を感じました。
 早合点してはまずいと、尾根上を参道入口側まで伝ってみましたが、祠はこの一棟だけでした。これが「結の社(以下は結神社)」ということでしょう。

結神社

 位置関係がわかるように(濁っているのでよく見えませんが)千鹿頭池をバックに撮ってみました。尾根の中軸に沿って松本市街を見下ろす方向に坐しています。

結神社 祠の中は、新しい「双体道祖神」でした。これはあくまで推測ですが、案内柱にある「平成14年移転」の際に、空の身舎(もや)の中に「道祖神」を納めて「結神社」に仕立て上げたと考えました。ただし、この祠が元々も道祖神の“家”であったとすれば、その変身に異を唱えることはできません。
 結局、石祠に彫られた「奉造立・神田村」や以上のような状況から、結神社が「宿世結社」とは確定できないまま諏訪に戻ることになりました。

結神社とは

「霊神」 念のために調べると、「産霊」と書いて「むすび」と読むことがわかり、ネット限定とはいえ恥を広く曝さずに済みました。

高皇産霊神・たかみむすびのかみ─男神
神皇産霊神・かみむすびのかみ──女神

 何が何でも「縁結び」にしたかったのでしょう。道祖神を『記紀』の神々に格上げした意図が見えてきましたが、それにしても凝った発想をするものだと感心してしまいました。

結神社と宿世結神の関係

 石祠には「十一月吉日・神田村」と彫りがあり、村境である尾根筋より神田側に下った場所にあります。「社移転」からも、(麓の)道祖神を結神社としてこの場所に移転したことが推測できます。
 また、千鹿頭神社は「高島(諏訪)藩と松本藩・神田村と林村で、本殿と御柱を二つに分けた」という歴史的経緯があります。尾根向こうの「宿世結神社」が余りにも有名なので、それに対抗して(あやかって)「結神社」にしたことが見えてきました。

結神社 私見だけ述べるのは公平性に欠くので、長野県『長野県町村誌 中・南信篇』〔中山村〕から[名勝]を転載しました。絵図は、同書の『逢初川之図』(部分)です。
 神田村他二村が合併しての中山村ですから、神田村から見た「逢初川・浦この山」となります。

【逢初川】本村千鹿頭社の前にあり。男亀山、女亀山、鶴ノ峯、産霊の神社あり。祭神高皇産霊神神皇産霊神、男亀山の麓に古歌あり。其歌に、
志那のなるあいそめ川のはたにこそ
 すくせむすびのかみはましませ
此歌春雨抄には読人不知とあり、或は西行法師と云伝えり。
【浦この山】鶴ヶ峯の南にあり。其歌に、
(歌は略としました)

祠の造立年

 祠の側面には「奉造立 享保年」と彫られています。干支の十二支「卯」だけが読み取れたので、年代表から「卯の年」を調べると、「享保8年・20年」が「癸卯・乙卯」に当たります。一文字分のスペースから「享保8年」としましたが、「二十」も「廿」とする場合があるので確定できません。どちらでも“大勢”には影響しませんが、私の性分で、つい調べてしまいました。