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中之町の御霊神社 奈良県五條市 20.11.21

御霊神社本殿「蟇股」
御霊神社本殿「蟇股」

国重要文化財「御霊神社本殿」

 バス停の少し北にひと際濃く樹木を茂らせて御霊神社(祭神井上内親王)がある。別名福田宮で、御霊神社になったのは1238(嘉禎4)年、霊安寺町の御霊神社からの分祀のときと伝えられている。本殿(国重文)は一間社春日造、板葺きで「文明四(1472)年」の棟札をもつ。本殿の両側に脇殿があり、左側は早良(さわら)神社、右側は他戸(おさべ)神社(ともに国重文)でともに一間社流造である。
山川出版社『奈良県の歴史散歩』

 五條市の滝町にある諏訪神社は、今は存在しない「幽霊神社」とわかりました。その“縁”というわけではありませんが、同市内に数多くある御霊神社の一つを尋ねることにしました。(中之町にあるので)中之町御霊神社の「重要文化財」に惹かれたからです。カーナビに参道と思われる細道を「目的地」としてセットし、後はすべて任せました。

柿と栄山寺と御霊神社

 「JA牧野直売所」があります。一時間前に、法隆寺ならぬ栄山寺で国宝の「梵鐘」を拝観しました。それに“触発”されたわけではありませんが、道々で「柿」畑が目に付くので食べたくなっていました。
 産地とあって、直売所内には、贈答用から自家用まで並ぶ柿山の長い列が複数あり実に壮観でした。これから神社の参拝というのに、色と大きさと数と値段に悩む「せこい」品定めです。「いや、これは倹約という美徳なのだ」と言い聞かせて、おやつ用の普及品とやや高価な土産用を購入しました。さらに、「長野県諏訪」の半値以下という「ハウス栽培ナス」も一袋加えました。これで駐車場が確保できました。
 両側に民家がある細道の奥は行き止まりでした。目の前に社殿が見えているので、近道として自然発生したと思われる踏跡状の小道を伝いました。拝殿を左に見てから右方を振り返ると、この場所からは参道の奥になる入口に、赤い鳥居が小さく見えました。

いよいよ「御霊神社」

石組み 「拝殿前に狛犬があります」と、あえて書く必要はないのですが、台座に「奉献」とある石が組み込まれているのを見てしまったので、状況説明として入れました。(隠してもいいのに)彫り文字を堂々と表側にした意図は何だろう、と考えてみました。やはり、奉納した人の思いを残す、という配慮でしょうか。

献花台 左写真の「榊を活けた台」に注目してください。「取りあえず五條市民」と限定した人には日常の風景でしょうが、諏訪大社のお膝元から来た私には、見慣れないものとして奇異に映ります。滝町の御霊神社には、(「華瓶」の字があるので)仏式の花入れがありました。九頭竜神社がある「三社さん」にもそれぞれに花瓶があり、灯籠の脇には、「境石」の大きさですが安政三年銘の同じ用途と思われる頂部に穴が空いた石柱がありました。
 榊をここに活ける(挿す)のは見てわかります。しかし、諏訪(長野県)ではこの類のものは全くありません。当地は寒いので榊の代用に冬青(ソヨゴ)を用いますが、神前に置くか向拝柱などにヒモで結わえます。その分早く枯れますが、そういうものと思っていました。やはり、こちらは「仏都」に近い、ということなのでしょうか。

御霊神社本殿

 仰ぐと今にも雨粒が顔に当たりそうな鉛色の空ですが、拝殿から見える社殿の丹塗りは、照り返しで顔に暖かみが感じられるほどの鮮やかです。奈良県とあって「春日大社」の影響下というわけではないと思いますが、五條市の三社目となるこの御霊神社本殿も「春日造」でした。
 瑞垣の扉が開いたままになっています。時節柄、短絡的に「七五三参り」が浮かびました。「準備中なら拝観させてもらおう」と中を覗きますが、…誰もいません。考えてみれば、祭神の“性格”からみて、祝いごとに参拝するような神社ではありません。これは「私への招待状なのだ」と遠慮なく入らせてもらいました。

早良神社・他戸神社

 脇殿は、本にあるように流造でした。色はややくすんでいますが、この時はもう降っていた雨空の暗さが原因でしょう。直近で重文の社殿を心置きなく拝観してから、境内を一回りしました。灯籠の「延享元年」・手水舎の水鉢に「文久二年」とあるのを確認してから、見納めに振り返ると、30mはあろうかという避雷針がそびえ立っていました。重文に指定されると、避雷針までも立派になってしまうのでしょうか。表参道の、これも丹が鮮やかな鳥居を見てから、本降りにならないうちにと引き返しました。