八ヶ岳原人Home / 雑記・書留メニュー /

「大湯環状列石」騒動記

大湯環状列石と黒又山 「大湯環状列石と関連がある」と言われている「黒又山」の周辺を見ていました。1976年に撮影した『国土交通省・国土画像情報』の航空写真です。その上部(北)にスリ傷のような線を見つけ、なぞっていくと大湯環状列石の北東にある「一本木駒形神社」に突き当たりました。
 その先は“誘導”する嫌いもありますが、畑の境界線を追うと「大湯環状列石」に突き当たりました。「フィルムの傷」の可能性があるので撮影位置が違う他の写真を参照すると、全く同じ線がありました。

航空写真で見た大湯ストーンサークル“古道”

 これは中世ヨーロッパの話ですが、「今も残る城壁跡」として、城郭の周囲に「畑土の色の違いとなって見えるライン」が教科書に載っていたのを思い出しました。そのため、この「ライン」は「大湯環状列石資材運搬の道跡」ではないかと考えてみました。

 図解写真は、下記の「大湯環状列石古道」をクリックしてください。
  「大湯環状列石古道」(820×1380pix/700kb)


 その話を進める前に、幾つかの可能性(疑問点)を挙げてみました。

送電線の影

 「この線」は、黒又山周辺を除くとほぼ直線です。まず送電線を疑いました。送電線が通っている場所を航空写真で見ると、上空の電線が「干渉」して、地面に「平行した凹んだ線」となって現れます。さらに、方向を変える箇所には鉄塔がありますから、必ずその敷地が写っています。
 問題の「この線」は一本線ですが、取りあえず国土地理院の公式地図で確認することにしました。現在は、国土地理院が地図閲覧サービス『ウォッちず』を公開していますから、クリックするだけで全国の1/25000地図を見ることができます。“都合よく”(30年前はわかりませんが)「黒又山から大湯環状列石」周辺には、送電線の凡例はありませんでした。

断層跡

 次に、土色の違いとして残った「断層跡」を考えてみました。「大湯環状列石がなぜここに造られた」の答えを「断層終末(末端)の地」とすれば、俄然「話」は面白くなってきます。しかし、この「考え」と「痕跡」は余りにも“直線的過ぎて”断念しました。

「安久谷川─黒又山─駒形神社…大湯環状列石“古道”」

 “私自身が否定する項目が否定された”ので、「最短距離」を基本とした「大湯環状列石・石材運搬の道」の可能性が高まってきました。

黒又山北辺から大湯川

大湯環状列石から大湯川へ 大湯環状列石がある台地の北辺の地形ですが、国土地理院の1/25000図を参照すると、ここは台地の外れで急傾斜地になっています。ここを県道も蛇行し勾配を緩やかにして大湯温泉に下っていますから、今も昔もこの場所を上り下りするしかないことがわかります。


大湯川から安久谷川

大湯環状列石の石英閃緑玲岩 大湯環状列石に使われている石は「石英閃緑玲(ひん)岩」で「東約7kmにある安久谷川から運ばれた」そうです。
 地図を見ると、安久谷川は、源流から「諸助山」山塊の北側を迂回し、大湯市街の手前で大湯川に合流しています。これでは、安久谷川から大湯環状列石がある台地上へ直接上げることは無理です。

 ここで、航空写真と地図を参照すると、まず大湯環状列石周辺の大湯川にある「特定の石」を集め・拾い尽くすと安久谷川に入り・さらに源流へ、という“流れ”が見えてきます。運搬はその逆ですから、現在の大湯温泉がある合流部まで下り、前述の「谷間から引き上げて台地を横切った」とするルートが無難でしょう。

台地上に発生した大湯環状列石の運搬ルート

 ここで、縄文時代から連なる「道」の変遷を“描いて”みました。

衛星写真で確認

 「描いた道(餅)」ではこれ以上の進展は望めません。現地のその場所に立っても「航空写真でしか見えない線」ですから、衛星写真では「現在はどうなのか」と調べることにしました。しかし、全く確認できません。これは「被写界深度」の違いと考え、“送電線銀座”の一つ「大阪府八尾市」の状況を調べてみました。ところが、被写界深度は「ピントが合う範囲」ですから、飛行機と人工衛星の撮影距離の違いで「干渉せずに、逆にハッキリした線」で写ることがわかりました。

「大湯環状列石運搬の道」

 痕跡が見える写真は1976年の撮影です。「古道跡」は、山は木が生長し・田畑は大型耕耘機の普及などで深く耕され、現在では消滅した可能性があります。35年前の写真で現在の地勢を比較することは不可能に近いので、ここまで来て、これ以上の進展がなくなってしまいました。
 「これで永久に謎となった」ことで、言い替えれば「大湯環状列石古道」を完全に否定することはできなくなりました。

大湯環状列石と黒又山 初めは「何の線だろう」で始まった小さな疑問が「四千年前の“道”」としてドンドン大きくなってしまいました。「結果」として、この大湯環状列石「古道」を“熱造”するために“赤いコーンを並べただけ”になってしまいました。
 最後まで読んでくれた方に、昭和23年当時の航空写真を紹介します。戦後間もない時代の機材とあって解像度がよくないので、拡大しても詳細はわかりません。大湯環状列石の周辺は白くなっていますから、農地造成(または発掘)中ということでしょうか。そのため、遺跡の場所はおおよその位置となっています。