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神明社・御乳社 松本市島立 26.10.29 加筆

 長野県神社庁では「御乳社」ですが、ここでは、一般的な名称「御乳神社」で表記しました。

 松本市の沙田神社は、諏訪社ではない(建御名方命を祀っていない)のに御柱祭を盛大に行っています。その不合理さを“突っつく”中で、沙田神社が御乳神社と赤い糸で結ばれていることに気が付きました。その詳細は先送りとして、御乳神社がどこにあるのか・どんな神社なのかを現地で見聞することにしました。島立(しまだち)には旧村社「神明社」もあるので、両社を結ぶコースで巡拝する計画を立てました。

神明

神明space島立村
 當社は、天正六年戌寅勧請、百四十有七年になる、本社南向き
鈴木重武・三井弘篤編『信府統記』

 『信府統記』は1724年に編纂された松本藩の地誌ですが、島立與の島立村には上記の「神明」しか載っていません。記載漏れとも思いますが、沙田という名の神社は存在しなかったとも考えてしまいます。

神明社

神明社

 沙田神社から、ネットからプリントアウトした地図を片手に神明社へ向かいます。今回は、写真ではわかりにくいのですが、右手の(停止線がある)道から、鳥居の前に立ちました。写真で道路状況がわかるように、といっても半分しか写っていませんが、大きく入れた交差点の一角に社地がありました。
 対角線の道脇には「南無阿彌陀佛」などの石造物があるので、古くからの辻と思われますが、神社としては何か落ち着かない立地でした。

神明社の本殿 上写真では、神楽殿とするにはやや小ぶりな社殿しか見えませんが、その背後には、左のように慎ましい本殿があります。
 その背後に「御嶽大権現」、手前には石仏などがありますから、明治期に大きな“合併”があった可能性があります。ここでは省きましたが、三峯社の「お仮屋」もありました。

御乳大明神・おちのみや

 『信府統記』の〔島立與〕から抜粋しました。

御乳大明神space北栗林村
 當社は延喜十一年辛未勧請、七百九十有九年になる、本社西向き、舞台二間三間鳥居あり、

 これより約60年後となる天明三年に、菅江真澄が沙田神社の御柱祭を見学しています。彼の著作『委寧能中道(いなのなかみち)』から、関係する部分を抜粋しました。

をちのみやとて、神の御坐ありけるに、松の殖(植)しも見て戯(ざ)れ歌
ちよかけてはぐゝみ給へをちのみや
植し小松のをひさきも見ん
信濃史料刊行会『新編信濃史料叢書』

 最後に付け足したように書いてあるので、「おちの宮」は沙田神社の別称だと思っていました。

御乳神社

御乳神社

 地図通りに歩き、(当然ながら)迷うことなく御乳神社に着きました。以下は、境内にある案内板の一部です。

御乳神社
 御乳神社は大化五年(649)波田町鷺沢に祭られ、祭神は玉依毘売命。
 延喜十一年(911)御乳大明神として勧請する。天明三年(1783)菅江真澄が当社に参詣し、「千代かけて はぐくみ給え おちのみや 植えし 小松の 生い先を見ん」と一首を詠んでいる。

 これを読んで、「おちの宮」が御乳神社であることを理解しました。それはそれとして、御乳神社が、沙田神社の奥宮がある「鷺沢」にあったことに驚きました。現在もこの御乳神社と沙田神社は直線距離で約790mと近接していますから、古くは、沙田神社と御乳神社はセットであったことが窺えます。

御乳神社「拝殿」 まだ新しい拝殿内に目を凝らすと、かなり古そうな神像が二組見えます。案内板に「永正八年(1511)島舘殿(しまだてどの)寄進との墨書銘の随身像二体」とある神像でしょうか。
 長押には何枚かの絵馬が懸かっています。案内板の「赤羽雪邦(せっぽう)の絵馬が有名」に対応しそうな額は、ガラスに外光が反射してその詳細を見ることはできません。

御乳神社本殿 瑞垣内にある享保の灯籠などを覗きながら一周しました。この写真は御乳神社の本殿ですが、手前の結界内にある怪しげなモノに注目!! これは、見る人には一目でわかる三峯社の「お仮屋」でした。
 先ほどの神明社でも確認していましたから、それを目的に来たのではないので、短時間に二社発見という快挙となりました。松本市島立地区には、まだ多くの三峯講が存続していることが窺えます。
 帰り際に、菅江真澄が詠んだ「松」をさがしましたが、杉や桧しか目に入りませんでした。

【乳】〔ち・ちち〕

 神社の名称「御乳」から連想するのは、乳房を象(かたど)った奉納品や
絵馬ですが、御乳神社には一切そうした物はありません。氏子は、「乳」であっても「オッパイ」ではないことを自覚しているのでしょう。
 その「乳」が当て字であるのかどうかは不明ですが、菅江真澄が書いているように、御乳神社は「おちじんじゃ」と読む(言う)のが一般的と思われます。かく言う私は“おちち”神社で始まったので、口に出すことはありませんが、頭の中は「おちちじんじゃ」で固まっています。

御乳神社の神紋

御乳神社神紋
本殿の蟇股拝殿の定紋幕

 現地では「菊」とした神紋です。ただ、本殿向拝の貫にある蟇股は「二枚重ねの菊」で珍しいという認識はありました。ところが、「御乳・オッパイ」と何回も変換しているうちに、何かが閃きました。
 通常、神社の定紋幕は中央部を紐で持ち上げています。ところが、絶妙な位置で固定してあるので、「オッパイ」そのものに見えることに気が付きました。ただし、神社の管理者(宮司または氏子総代)が、それを意図したものかは明かではありません。むしろ、妄想から来るイメージがそのように見させるだけかもしれません。いずれにしても、蟇股の「二枚重ねの菊」は、「二つ(対)のオッパイ」を象徴した意匠である可能性はあります。

越智氏

 “学術的”には[御乳]を「乳母」に当てはめる話もありますが、「おち」から「越智氏」との関係を説いている文献も見られます。かつて「波田越智氏」というような支族がいたことも考えられますから、この方面から追うのも面白そうです。

 予想はしていましたが、沙田神社と関係するモノは一切見つけることができませんでした。というのも、事前に調べた『東筑摩郡村誌』では、〔波田村〕には鷺沢の御乳明神の記述がありますが、〔島立村〕にはその「件」は無視したかのように載っていなかったからです。