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鎮神社 塩尻市奈良井 25.8.20

奈良井map 長らくの“懸案”であった、木曽奈良井宿鎮守の「鎮神社(しずめじんじゃ)」を取り上げることにしました。
 きっかけは例大祭です。8月11・12日と続く祭り日には拝殿の扉が開放されますから、直接本殿の写真を撮ることができます。しかし、日中では参拝者が“邪魔”となり、私が望む写真を撮ることができないのは目に見えています。そこで、初日の撮影は捨て、(あくまでも予想ですが)宵祭りで疲れ果てて誰もが朝寝坊している時間帯を狙いました。その逆算で、5時起床と決めました。

鎮神社の由緒

 楢川村教育委員会『楢川村文化財散歩』の〔奈良井宿の町屋と寺社〕から、「鎮神社」を転載しました。

 鎮神社は旧奈良井村の鎮守です。はじめは中原兼遠(なかはらかねとお)が鳥居峠に建立しましたが、天正十年(1582)に戦火で焼失し、奈良井義高によって現在地に移されたと伝えられています。同社の記録である「神名記」によると、元和四年(1618)奈良井宿に疫病がはやり、これを鎮めるために下総国(千葉県)香取神宮から経津主命(ふつぬしのみこと)を勧請し祭祀をはじめたといいます。
 境内は町の南側(京都側)の鳥居峠への登り口にあって、鳥居が街道に面してあります。その奥の一段高い位置に本殿を収めた覆屋があって、『木曾路名所図会』に描かれた境内の様子とあまり大きな違いはありません。
 本殿は、一間社流造・こけら(こけらぶき)で、全体に漆が塗られています。本殿前面の漆塗りの部分には、無数の小さな傷がついています。これは、参拝に訪れた人々の投げ込んだ賽銭が当たってついたものだといわれています。また、棟札によって、本殿は寛文四年(1664)、定勝寺山門(大桑村・国重要文化財)を建築した棟梁田中庄三郎重房によって建築されたことがわかっています。

 この「由緒書」を“よく”読むと、鎮神社の創建は元和四年となります。それ以前の“はじめ”との関係が書いてないので、何かないかと探したら木曽教育会郷土館委員会編著『木曽−歴史と民俗を訪ねて−』がありました。

 今から八百年ほど前の近衛天皇の頃、中原権頭兼氏(かねうじ)という非常に徳の厚い人が奈良井におり、村人に尊敬されていた。その人の死後、村人はその徳をしのび、社を今の鳥居峠に建て、天正十年までの約四二〇年の間祭神として祀っていたが、その年の二月、鳥居峠における木曽氏と武田氏の合戦で、神社は焼失してしまった。そこで、奈良井義高が鳥居峠麓の現在地に祀った。これが鎮神社の最初である。
 その後、元和四年六月(1618)、奈良井に「すくみ(パーキンソン病?)」という難病が流行し大勢の人が死んだので、村人が相談の上、京都の神祇官の長上(※長官)卜部朝臣兼英卿に懇願したところ、下総香取神社より、経津主命を祭神としてその年の六月二十二日に迎えることができた。これより悪病が鎮まったので鎮大明神と呼び、村人の産土神として崇祭し奉ることになった。

 両書を総合すると、

という流れになります。中原兼氏が合祀されている記述がないので、祭神の交代が行われたのでしょう。

木曽路名所図絵「奈良井」 左図は、『楢川村文化財散歩』で紹介している秋里籬島(りとう)著『木曽路名所圖會』にある「奈良井鎮神社」の一部です。臨川書店刊の復刻版から転載しました。
 方向は、右が奈良井宿で、左方が鳥居峠(京都側)になります。現在は、舞台が拝殿の場所に移っています。また、右上の高札場もほぼ同位置に復原されていることがわかります。

鎮神社参拝

鎮神社

 奈良井宿の南端に鎮座する鎮神社は、7時過ぎでは早朝とは言えませんが、計算通り参拝者は皆無でした。ところが、社務所にはすでに何人かが詰めています。大事な神社と神輿ですから、「寝ずの番で警備をしたのでは」と想像してみました。さっそく「拝殿に上がって写真を撮りたいのですが」と声を掛けると、快諾の声が返ってきました。

鎮神社本殿

 本殿と一体化している覆屋兼拝殿ですから、写真のように白壁の部分が手前まで迫っています。この間という制約に加え、神像と狛犬が入るのはこの位置しかありません。フラッシュ無しの撮影でしたが、用意した明るいレンズは十分に写し取ってくれました。これで朝の斜光が反射して下部が白化していなければパーフェクトでしたが、5時起きの努力は十分に報われました。

鎮神社の随身像

 いつもの習いなら随身像の写真を載せることはないのですが、例祭日の「特番」ということで、両武人を紹介することにしました。写真ではわかりませんが、左の武人は口を開けていますから、阿形(あぎょう)と確認できました。苦労して両神像のサイズを揃えたので、じっくりと御覧になってください。

鎮神社「蟇股」 本殿の向拝には「獅子」の蟇股がありますが、仰ぐ位置なので本来の形がわかりにくくなっています。代わりに、身舎(もや)の貫にある蟇股を紹介します。朱と白の二色で塗った(多分)牡丹ですが、金箔が映えて豪華に見えます。
 下部の円形の飾り金具は、「丸に立ち沢瀉(おもだか)」でした。神紋というより、社殿造営に関わった松本藩主「水野家の家紋」でしょう。

鎮神社「覆屋」 拝殿からは本殿の「造」がわからないので、覆屋の左右から眺めてみました。しかし、格子越しでは「一間社流造」がなんとかわかるという程度です。地味な写真となりましたが、身舎には彩色の跡が残っているので載せてみました。因みに、左右の蟇股は「(波に)兎・(竹に)虎」でした。

鎮神社の拝殿 最後に、拝殿の全景と、神輿や祭り道具が揃った写真を撮って今日の撮影行を終わりとしました。
 獅子舞や八幡神社まで御幸する行列にも惹かれますが、平沢諏訪神社と例祭日が重なっているので、そちらの本殿を撮るために奈良井を後にしました。