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鎮大神社 上伊那郡辰野町沢底 24.5.10

 辰野町誌編纂専門委員会『辰野町誌 近現代編』にある〔町内神社一覧〕を参照すると、「神社名 所在地:鎮大神社 沢底ワゴ・祭神:少彦名命・旧祭礼日:四月十五日・旧社格:村社・他」があります。それに続く解説を転載してみましたが…。

 祭神少彦名命は国土開発の神であるほかに、三輪信仰にかかわる疫病除けの神でもある。「この神は薬を求め病を癒やす、酒醸のことを始め、悪魔を制し開田の業に…」の神として各地に祀られている。
 沢底では、同神を虫封じの神と伝え来ていて、明治以前から虫封じの願かけや祈願成就の御礼に、遠くからも詣で賑わったという。またシズメのメは、目に通じるということから眼病に悩む人を救う神ともいわれる。

 この内容では鎮大神社の「由緒」に代えることはできませんが、「しずめだいじんじゃ」と読むことだけはわかりました。
 次に『辰野町誌 歴史編』から〔村の神祠〕を読むと、「検地帳末に記されたこれらの寺社のうち、古跡由緒ある神祠として社地を除地とされた神祠…」と説明がある〔上伊那郡神祠祭神〕があります。この表から「沢底村」を抜粋しました。

神明・諏訪大明神・八王子・権現・鎮目明神・天狗(2社)・天白・稲荷(2社)・山神(5社)

 ここに出る「鎮目明神」が現在の鎮大神社でしょう。元禄3年(1690)の頃は各集落の鎮守社で、横並びの社格であったことが窺えます。

鎮大神社参拝

鎮大神社 「丸い石橋・両側に庚申文字碑と幟枠。その間から参道が一直線に鎮大神社の鳥居に向かって延びています」と文字にしてみました。しかし、うらうらとした春陽に包まれた光景がうまく伝えられないので、写真を挿入しました。望遠で撮ったので距離感がありませんが、畑中の約100mの参道です。因みに、赤羽(伊那)方面から来るとこの石橋の前に出ますが、有賀峠(諏訪)経由では直接鳥居の前に出(てしまい)ます。

鎮大神社の社殿

 写真には写っていませんが、左に社務所(参集所)・右には物置になってしまった神楽殿があります。手前左側の覆屋の下に諏訪社があり、その前に「御柱」が建っていますが“後述”とします。左右の境内社の間を登り詰めると拝殿が正面に現れます。

鎮大神社本殿 拝殿格子戸のガラスを透かして、鎮大神社の本殿を撮ってみました。屋根が見えないので形状がわかりませんが、案内板には「一間社流造のこけら葺きで、千鳥破風(はふ)・軒破風がつく。この本殿については、地元の住人加藤吉左衛門藤原重家が宝暦年間に作り、以後何人かの手が加えられたといわれている」とあります。
 右下の「建御名方命」と書かれた幣帛4本は、左端に「二之御柱」と読める板が付いていますから、御柱の先端に附ける「大幣軸」と思われます。御柱の曳行時のみに使い、諏訪社ではなく鎮大神社(拝殿)に奉納という形を取っているのでしょう。

「お宮参り」扇子・真綿・麻 玉垣を背にした位置に、屋根付きの奉納品を掛ける板があります。一面に扇子が掛けられていますが、よく見ると何か異様なモノが“付着”しています。さらに観察すると、真綿を薄く延ばしたものと(色でわかった)麻苧(あさお)の二種類があります。扇子とこれらの組み合わせに何の意味があるのかわかりませんが、境内は日陰とあって、特に薄汚れた真綿にはオドロオドロしたものを感じてしまいました。

虫切り祈願  扇子に目が行って存在感が薄れていますが、バサミが印刷された紙片が何枚かあります。「夜泣き・虫封じ」とあるので、疳(かん)の虫をハサミで切る「虫切り祈願」ということでしょう。ハサミの形(絵)に統一性(規格)がないので、各自の好みで作成していると思われます。
 現物のハサミが下がっているのを見て、単なる子供の成長儀礼の一つなのか・それとも現実に悩んでいる人がいるという証なのか、立ち寄り参拝者の私であっても(一時の間ですが)神様にすがる親の「存在」に思いを馳せてしまいました。

諏訪社と社宮司社の「御柱」

鎮大神社の境内社「諏訪社と社宮司社」 本殿から一壇下がったところに、「社宮司社(左)」と「諏訪社」が鎮座しています。両社とも諏訪の神様ですから、双方の社殿を囲んで御柱を建てたということでしょう。まだ一部に皮が残っていますから、黒木の御柱とわかります。

なぜ、“鎮”大神社

 この神社の名称は「鎮」ですが、「疫病・厄災を鎮めるために造営された」という“因果”が由緒にありません。「鎮」神社の名称が極めて限定されている中で、それが当てはまるのが塩尻市(旧楢川村)奈良井の「鎮神社」です。しかし、神紋が同じ「沢瀉(オモダカ)」であっても、鎮神社の祭神は経津主命(ふつぬしのみこと)です。私は、なぜこの地に「鎮め」なのか疑問のままで鎮大神社の探訪は終わりました。

鎮大神社の諏訪社・社宮司社

 各史料から拾ってみました。いずれも抜粋です。

 諏訪社の祭神は建御名方命・大日霊貴(おおひるめむち)命・猿田彦命であり、社宮司社の祭神は猿田彦命であるが、諏訪社のみは寅申の御柱の年には御柱の神事を行う。(中略) 諏訪社は享保十年(1725)加藤吉左衛門重栄の作で棟札がある。
朝日村史編纂会『朝日村史』〔鎮大神社〕

 御柱は、あくまで諏訪社のものでした。その位置がずれているのは、覆屋のすぐ右が石段であるなど、柱建てのスペースが限られていることにありました。

御社宮司社 鎮大神社境内 明治41年5月、字ワゴより移転。

社宮司社 鎮大神社境内諏訪社に合祀 明治41年5月日向の諏訪社境内社であったものを合祀し、鎮大神社境内に移転。

『辰野町誌 歴史編』〔『みしゃぐじ』の分布〕
境内社の社宮司社はワゴ、諏訪社は日向にあった。
『辰野町誌 近現代編』〔町内神社一覧〕

 「日向にあった諏訪社を現位置に移し、その境内社(社宮司社)を諏訪社に合祀した」ということになり、祭神の一柱が猿田彦命であるのが理解できます。また、諏訪社の左に位置する(御)社宮司社は「ワゴから移転した」とわかり、旧沢底村のミシャグジは「猿田彦」を祭神としていたことを窺わせます。

諏訪社の御柱祭

社宮司社・諏訪社 昭和四十九年までは日向を主体として神社役員等により儀式が行われていたが、昭和五十五年から区を挙げて曳くようになった。

『辰野町誌 近現代編』〔小宮の御柱の概要〕

上伊那の「お宮参り」

 民俗関係には恥ずかしいほど知識がありませんが、奉納された扇子が「我が子の成長を祈願する」ことだけはわかります。ただ、緑色に染まった真綿が延びて吊り下がった形に、…どうしても不気味さを見てしまいます。東北では、奉納された「黄色く変色した、初夜に使った懐紙」や「青黒いヘアピン」の山を見ていますから、どうしてもそれらとイメージが重なってしまいます。

扇子・真綿・麻
箕輪町「松島神社」

 ネットで調べる中で「胞衣信仰」を知りました。胞衣(えな)と言えば「高島(諏訪)藩主の子供の胞衣は、白狐のお宮(白狐稲荷神社)の境内に埋めた」ということしか知識にありませんから、「胞衣信仰」を「御社宮司社」に絡めた記述があることに驚きました。
 しかし、「ハレの日」に、象徴(代用)としても、それを奉納するのは“私の倫理”に合いません。そもそも、真綿が付いた扇子は鎮大神社に奉納されたものですから、ミシャグジとは関係ありません。「何か勘違いしているのではないか」と、“この手のもの”は元来好きな方なので粘り強くクリックを繰り返しました。
 しかし、発信する人がいてこそのネットですから、限定されたローカルネタには限度があります。やはり、頼りになるのは地元の資料でしょうと『辰野町誌』の〔民俗〕を開きました。

御宮詣 子供には里から贈られた晴着を着せ、鉄漿親(かねおや)か近隣の婦人が抱いて氏神様へお詣りをする。無病息災や長寿を願って真綿(白毛)・麻(長寿)・扇子(末ひろがり)を拝殿の格子へしばりつけ、洗米・御神酒・お頭づきを供え、拝殿へ子供を寝かせて、一緒に行った者はお参りして供えものを食べる。(抜粋)

お宮参りの扇子
辰野町「荒神社」

 資料写真に「羽場の手長神社」があります。思い出してHDにしまい込んだ手長神社の写真を拡大したら、…拝殿に扇子が現れました。この時は真綿に気が付かなかったので、「よくあること」として記憶に残らなかったようです。
 改めて、撮りためてある辰野町の神社をチェックすると、全ての神社に「扇子と真綿」が見られます。「真綿の意味」に気が付かなかったばかりに、ここで初めて、上伊那郡では現在もこの儀礼が広く行われていることを知りました。
 次に、「真綿」が意味する縁起の「白毛」を調べたら「しらが・白髪」が見つかりました。

しらが【白髪】
. 昔、幼児の髪置きの祝いに長命を祈って用いたかぶり物。すが糸・麻苧・真綿などで白髪の垂れた形に作る。しらがわた。

『デジタル大辞泉』

 「白髪になるまで長生きできるように」ということでしょう。ここは胞衣信仰に結びつけず、素直に「縁起物」とすべきでしょう。

鎮大神社の祭神は「経津主命」

 朝日村史編纂会『朝日村史』に、“とんでもないこと”が載っていました。

 祭神少彦名命については、「該神は薬を求め病を癒す…」の尊であったから、村民はその威徳を欽慕して祀ったと記しているのに、明治四十一年には祭神変更の願いを出している。それは、明治四十二年の神社明細帳へ、神主がいなかったので誤って少彦名命と記してしまった。本当は経津主命が祭神だから変更を願いたいと、神主矢島倭止外氏子総代十三名が連署して願書を提出したが許されなかった。これは祭神を書き誤ったというのでなく、何か信仰上の問題があったのではないかと考えられる。

 前出の奈良井鎮座「鎮神社」と「祭神・神紋」が繋がったので、新しい展開がと期待しました。しかし、部外者には「信仰上の問題」を推し量ることはとうていできませんから、そこまでで終わりました。

『精霊の王』について 27.8.14

 平成27年になって、遅まきながら、中沢新一著『精霊の王』を読んでみました。以下に、〔堂々たる胎児〕から“問題の箇所”を抜粋しました。

「これは……胞衣ですね」
「ええ、たぶん」
「扇と言えば女性器の象徴でしょう。それに結びつけられている真綿の袋と言えば、やっぱり胞衣でしょうな」
「ミシャグチと胞衣ですか。あんまりできすぎた話しじゃありませんか」
「たしかに、本殿の神様のほうへの奉納ということも考えられますが……でも子供の誕生を報告するこの板は、よりによってミシャグチさまの後ろに立てられていますからね。結びつけたいところです」

 「考えられますが」というより、ズバリ、扇子は鎮大神社へ奉納したものです。得体の知れないミシャグジより、「産土様」へ報告するのがスジです。鎮大神社では、たまたま「この板」が設置されていたので勘違いしたということでしょう。

お宮参りの扇子「八嶋神社」
辰野町「八嶋神社」

 同じ扇子を奉納している他社の“事情”を、撮りためた写真で調べてみました。拝殿の扉が格子の場合は、そのまま結わえています。ビニール貼りも、少し押せばヒモを通すゆとりができます。八嶋神社はガラス戸でしたが、それに重ねた奉納用の格子が設置されていました。
 鎮大神社は専用の奉納板を用意したことになりますが、他社とは扇子の向きが祭神と逆になるように設置しています。どちらが正式かは別として、これも、(研究者ならではの)早合点する一因でしょうか。