ネットで「韮崎市/神社」のキーワードで検索したところ、Blog『知ってるけ〜、村の鎮守』に、標題の「お腰掛」を見つけました。諏訪の「御柱」も見方によっては怪しげな柱ですが、それを見慣れている私でも、その奇怪な形に目を見張りました。
韮崎市誌編集委員会『韮崎市誌 下巻』にある〔祭りの庭〕には、以下のように書かれています。
これが、旧三ツ沢村の神明神社です。拝殿の左側が正面に当たるので、本殿の代わりがお腰掛とわかります。
上写真では奥に当たる左側から撮ったお腰掛です。枠の造りは、これは写真を見てもらう方が手っ取り早いでしょうか。
御柱と違い貫で堅固に組んでありますから、朽ちるまでこの姿が続くと思われます。
木枠の中央に、石棒と言うより縦長の石が三本ほど寄り添うように立っていますが、これが本来の姿なのかはわかりません。枠で囲う意味を考えると、土または地面を御神体と考えたほうが合理的だからです。いずれにしても、初めて見たこの景観には圧倒されました。
同じ道を戻ると、往時とは目線が逆になったせいか、道脇に怪しげな石が並んでいることに気が付きました。神明神社からは、100mほど離れた樹下です。
この写真では最奥の黒い碑に彫られた「神明神社」から、ここが「神明神社の旧跡地」と気が付きました。
前出の『韮崎市誌』にある〔神明神社〕を転載しました。
参拝時の状況から、神明神社を社宮神(社)に遷して(から)社名を変更したことがわかります。国の指針で村社として登録する際に、社宮神(ミシャグジ)より天照大御神のほうが受理されやすいと考えたのでしょう。