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本宮倭文神社 山梨県韮崎市穂坂町

本宮倭文神社参拝 21.5.11

本宮倭文神社 地図に「本宮倭文神社」とあるので、倭文神社の古社地に違いありません。「昇仙峡ライン」をさらに遡った穂坂町柳平の集落から、川辺に建つ鳥居が見下ろせました。
 石段を登り切ると、左に神庫・右に神楽殿という境内でした。

本宮倭文神社「神楽殿」

 神楽殿の柱にはササがくくり付けられ、天井からはカラフルな紙垂が下がっています。現在も、柳平の人々が神楽を奉納している印でした。
 それを透かした正面が拝殿ですが、青い大梁が印象的です。神楽殿の床柱も同じ色に塗られていますが、ツヤ消しの状態になっているので視覚上の嫌みはありません。拝殿の前に立つと、その梁の中央には、赤地に銀で「丸に五七の桐」が彫り込まれていました。

本宮倭文神社本殿 拝殿背後の斜面に本殿へ続く石段が見えていたので、拝礼の後に登ってみました。
 本殿の右横に何かが見えます。確かめようと見下ろす位置まで登ると、朽ちた板垣の中には組んだ直方体の石があるだけでした。かつてはこの上に社殿があったと想像してみましたが…。

本宮倭文神社神輿 神庫と思われる社殿を格子越しに覗いてみると、神輿が安置してあります。すでに担がれることはないようで、土埃か退色か、色彩にツヤがありません。ここにも「丸に五七の桐」が見られました。
 後の調べですが、かつては、七夕社(本宮倭文神社)から倭文神社まで神輿の渡御が行われたことがわかりました。

 「本宮」とある倭文神社ですが、境内を一巡しても、倭文神社との関係を具体的に見い出すことができません。現在は、「その関係」は解消されて別個の神社になっているのかもしれません。

七夕社と本宮倭文神社

 韮崎市誌編纂専門委員会編『韮崎市誌』から「本宮倭文神社(旧村社)」を抜粋しました。

祭神 七夕社/天棚機姫命・天羽槌雄命。神明社/天照大神・豊受大神。貴船社/伊弉冊命。天神社/菅原道真公。

由緒 昭和二九年五月、前記四社を貴船神社に合併の議が起こり、同三四年一〇月神社本庁の認可を得て本宮倭文(しとり)神社と改称した。柳平地区は宮久保の倭文神社の山宮のあったゆかり深い地であるからである。
 倭文神社は機織りの神であり倭文氏の祖である天羽槌雄命と天棚機姫命を祀り… (後略)

 七夕社とその祭神二柱から、宮久保の倭文神社の山宮が七夕社と解釈できます。しかし、ここでは七夕社と倭文神社の関係を説いていません。
 一方で『韮崎市誌』に載る〔倭文神社〕では、「7月7日の七夕祭には、柳平の七夕社から倭文神社まで神輿の渡御が行われたといわれ…」と書いています。その関係は「山宮─里宮」に通じますから「七夕社─倭文神社」となり、現在の「本宮倭文神社─倭文神社」と理解できます。
 このスッキリしない関係は、七夕社を貴船社に合祀したことから来るようです。「前記三(四)社を七夕社に合併」なら、明解に「本宮倭文神社」と名乗れるからです。

 また、〔本宮倭文神社〕の項では、「とにかくこの辺りは古い神まつりにつながる事柄が多く、まだ調査を要する余地が多いように思われる」と結んでいるので、地元でもハッキリわかっていないのでしょう。