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安布知神社「相撲奉納額」 下伊那郡阿智村 27.7.14

 「阿智村有形文化財 安布知神社(あふちじんじゃ)本殿・拝殿」とある案内板は「現存する本殿は、寛文十一年(1671)駒場村上町の領主宮崎太郎左衛門公重の造営で、三間社流造、こけら葺き、二重垂木(たるき)…」と続きます。しかし、その本殿は覆屋で完全に囲われていますから、「見えない社殿に専門用語を立て続けに並べられても…」というのが安布知神社参拝の第一印象でした。
安布知神社拝殿「天井絵」 一方の拝殿ですが、格天井(ごうてんじょう)を仰いだときには「オー」と感嘆符が出ましたが、目を凝らすと「内部は格天井で格間(ごうま)には彩色画が描かれているがほとんど退色し、はげ落ちが多い」とある案内板の通りでした。中央の大きな“抽象画”も、自宅で写真を拡大して、ようやく「昇竜・降龍」と確認できたという状態でした。

安布知神社拝殿「山犬」 しかし、社殿の外部を丹念に見て廻ると、当時の彩色が確認できるものが幾つかありました。写真は、尾の形状から山犬としましたが、漆と思われる“黒の斑”が何であるのかはわかりません。

相撲奉納額

 安布知神社は多くのサイトやブログで紹介しているので、ここでは、誰も見向きもしない「相撲額」を取り上げました。拝殿内に懸かる、格子戸と比較して幅を一間とした大きな奉納額です。

■ 掲載の奉献額は、斜め方向の変形を強制的に修正してあります。逆光のため部分的に色が白化しています。
安布知神社「相撲奉納額」
安布知神社「相撲奉納額」

「歳在」をどう読むか

安布知神社奉納額 額の左端に「于時安政二年歳在卯冬十一月」と書いてあります。奉納年月日に幾つかの書き方があり、「于時」を「時に」と読むのは最近の知識としてありました。しかし、「歳在」が読めません。次の「卯」は十二支の別字(くずし字)であると考えたので、「安政二年」を調べると「乙卯(きのと・う)」でした。これで、「卯」を「卯」に置き換えることができました。
 難読の「歳在」をネットで検索すると、「中国の戦国時代に始まった。木星は…」といきなり木星が登場しました。難しい(面倒な)ことはさて置いて、その中で「歳在星紀」に「歳(とし)、星紀に在り」と読みがあるので、(これが正解なのかわかりませんが)奉納額は「安政二年、歳乙卯に在り」となりました。

『ウィキペディア』〔歳星紀年法〕

 ここまで首を突っ込んでしまったので、少しこの額の中を彷徨(さまよ)うことにしました。大文字の「奉獻」は「奉献」で、左に「願主 駒ヶ嵜(崎)・關(関)ノ里・市ノ浦」の三人の名があります。何か手掛かりが、とネットで調べてみましたが、この四股名(しこな)は見つかりません。後世まで名を残すに至らなかったのか、というより、そもそも江戸時代の四股名では、ネット上の情報としては無理があるようです。

「着物姿の男」の謎

 文字はこれだけなので“絵の通り”と言うしかありませんが、右端に不審な描き方があるのを見つけました。右側の三人に注目して下さい。

安布知神社「奉納額」 右端には、刀を差している人物が描かれています。帯刀を許された町人風の男といったところでしょうか。絵の構成から、願主三人のパトロンとも考えられます。
 ところが、「取り組み中の力士を左右から注視している構図」を無視したように、まるで空中浮揚をしているかのように描いています。言葉に代えると、かがんだ力士の青いマワシを、下駄の歯の間で挟んでいるとなります。
安布知神社奉納額 その力士も「んっ、腰に何か違和感が…」というような表情が見られ、脇の力士も「何か人の気配が…」という怪訝な顔にも見えます。このことから、着物姿の男は「すでに、この世にいないのでは」と解釈してみました。
 則ち、願主が、故人となった後援者を(遠近を無視して)オーバーラップさせて描き込んだ奉納額を、「大関に昇進するように」と安布知神社へ奉納したというものです。手ぬぐいのようなものを持っているのが何かカギのようにも思えますが、子どもの頃から「一人で想像することが得意だった」私の超解釈ですから、…どうでしょうか。