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うらこ山(宇良古山)と宿世結の神 松本市林 25.4.1

 メニュー「各地の神社」にある[千鹿頭神・宇良古山・宿世結神・逢初川 ]の続編です。

宿世結神社( 旧里山辺村の資料による表記)23.6.25

結神社 里山辺にある「山辺学校歴史民俗資料館」に展示してある地図の一部ですが、読みにくいので関係するものを併記しました。「昭和5年作図」とある地図では「宿世結神社」で、一点鎖線の境から、鎮座地は「里山辺の旧林村」になっています。現在でも境界は変わっていないはずなので、「宿世結神社が現存していれば林側にある」となりました。

結神社 同じく、正式名『長野縣東筑摩郡里山邊村村社千鹿頭社 境内及境外山林附近鳥瞰図』の一部です。「添付圖面 五」昭和五年(千鹿頭社昇格申請)と注釈があります。コピー品ですが、管理者の許可を得てカメラに収めました。
 絵図に「亀ヶ峯」をで上書きする作業の最中に、『信府統記』にも見える「亀ヶ峯」が“なぜ亀”なのかが納得できました。「宿世結の神」の右側にある祠が「目玉」に見えたからです。その流れでは「うらこ山」と「亀ヶ峯」の表記が入れ替わっている(誤記)と指摘できそうですが、その話は置くとして、「宿世結」は昭和5年の地図と絵図には確かに存在していました。

 実は、千鹿頭山にある結神社を参拝した日に林側の麓から亀ヶ峯を仰いでいました。絵図では「逢初川」と書かれた辺りですが、目を細めても何も見つかりませんでした。その時は、場所が特定できていない・傾斜が急・シャツが背中に張り付きっぱなしの暑さ・昼飯抜きという状況もあって、藪の中に入る元気はありませんでした。

存在していた「宿世結神社」 25.3.30

結神社 左は、上図の「宿世結の神」の部分を拡大したものです。一昨年の“探索”では藪で覆われていたので断念しましたが、まだ芽吹き前という日を選んで、その祠がまだ存在しているのかを確認することにしました。
 梅の花は咲いていても気温は低く強風で何度も帽子を飛ばされそうになった一日でしたが、「何かを発見する」という目的の前では一向に苦になりません。


うらこ山 里山辺(旧林村)側から見た千鹿頭山です。絵図から亀(亀ヶ峯)の首辺りにあると踏んで、駐車場にした林側の参道入口から、山裾に沿った道を尾根の先端に向かいました。


うらこ山と宿世結神 尾根の最鞍部の向こう側に屋根が覗いています。位置的に見て、神田千鹿頭神社の社務所とわかります。そこから右手に目を転じると、労なく石祠を見つけることができました。「宿世結」の神祠でしょう。
 祠の前に、誰が手向けたのか柄鏡が置いてあります。しかし、道端の表示板に「廃棄物を捨てるな」を読んでいたので、その残物を誰かが供え物として置いた可能性もあります。迷いましたが、撮影には邪魔になるということで、傍らに立つ木の根方に空いた洞(うろ)に移しました。

宿世結神祠 身舎(もや)の側面に「林村・宝暦十庚辰年(1760)・七月建」と読めます。その他には何も刻まれていませんが、改めて宿世結の神を祀った祠と断定しました。
 周囲には注連縄・中には幣帛の残闕さえもありませんから、すでに祭祀の対象になっていないかもしれません。それでも刈り払い程度の手入れはされているようで、この周辺はこざっぱりしていました。今しばらくは道路から会釈することもできますが、膨らみかけた芽が大きな葉に替わる頃には藪の中に埋もれてしまうという現状を憂いながら帰途につきました。

宿世結神

 平成の世における宿世結神(宇良古比売)の評価はともかくとして、江戸時代に石の祠を造った人達が確かにいたことが認でき、その250年後にネットでその写真を紹介することができたことで大きな満足を得ました。

 宿世結の神については、すでに幾つかの史料を紹介しています。さらに、「宿世結の神について、昭和五年の『千鹿頭神社昇格願書』の中には、以下のような記述が見られ、興味深い」と解説がある山辺学校歴史民俗資料館の展示史料『宿世結神社』を新たに転載しました。読みやすいように、ひらがなに替えてあります。

 宿世結神、現今は地目上境外神社なるも、昔は同一境内なり。故に、現今明細帳中には記載せざるも、往古より(千鹿頭神社の)末社たりしものなりとす。祭神は宿世結神にして、勧請は遠く桓武天皇延暦年間にして、里長林六郎の女を祀れりと。享保五申辰年水野日向守様に差上げたる千鹿頭大明神縁起の内に「……前之小山はうら後山是に志ゆくせ結ぶの神立給う。是は林六郎女祝えりほこらに阿り。此の辺の川を逢染川と申し、古歌に、信濃なる逢染川の辺には 志ゆくせむすぶの神いましまし……」とある。
 また、信府統記名所付古歌の項に、「筑摩郡山家組千鹿頭山の麓にある小川なり。古へ又此の川涯に愛染明王を祀りありしが、今は修覆することなかりし故、跡ばかり残れり。又此の処に、うらこ山と云うあり。其の山にすくせむすぶの神給う跡とてあり。是を当国名所は《恨山なり》と云伝うれども定かならず……。又当社の存在するうらご山の地名につき恨山(うらみ山)なりとの説あり。上古に於ける恋愛問題にからまる恨事より発せしにはあらざるか。
 夫木 尋ねはや心の末は知らねども
人をうらみの山の通い路
 田村将軍の副将雨宮諸継は林六郎の女を見染め、遂に同女を娶(めと)り田村将軍の帰京せらるるに、独り止りて当地方の守護たりと、而して林六郎女は有後姫と伝えり。故にこの名所の逢染川・恨山は共に此二人の間に生じたる恋愛秘曲により織り出されたる余韻には非ざるか。況(いわ)んや平安朝時代の爛熟せる文化の下に自由奔放の恋愛観念の横行によって、幾多の悲喜劇の演ぜられたるを史に伝うるに於いておや」とある。
 この宿世結神につきては、尚幾多土俗学上に於て研究を要するものにして、妄(みだ)りに憶説を記述する事、却って御神徳を傷つくるものあるを恐る。故に将来の研究に俟(ま)つ。

 宿世結の神社(かみやしろ)が確定したことで、「神田千鹿頭神社と林千鹿頭社」から始まる“うらこ”シリーズを一部改稿しました。