諏訪大社と諏訪神社トップ / 各地の神社メニュー /

小池太郎稲荷 松本市寿 28.5.15

 『諏訪藩主手元絵図』には、松本市から塩尻市にかけての村絵図が載っています。その経緯(いきさつ)は自分で調べてもらうことにして、江戸時代では神田村から中挾村までの九ヶ村が高島(諏訪)藩だったということになります。そのため、ありがたいことに、諏訪の史料で松本市と塩尻市の古絵図を見ることができます。

 (決して)暇つぶしということではありませんが、各村の神社を順に見ていると「小池太良稲荷」がありました。「◯◯太郎稲荷(神社)」についてはかねがね気になっていたので、「んっ」と村名を確認すると、…「小池村」です。調べると、現在の松本市寿(ことぶき)小赤でした。
 以下に、諏訪史談会編『復刻諏訪藩主手元絵図』から〔小池村〕の一部を転載しました。2ページに分割してあるので、繋ぎ合わせてみました。

諏訪藩主手元絵図「小池村」
小池太郎稲荷

 すぐ上(北)に「御蔵」がありますから、その場所は村の中心部であることがわかります。また、「坂東太郎」の例から、小池村で一番の格式がある稲荷神社と想像してみました。
 参考として、以下に、現地踏査で確定した小池稲荷神社の地図を用意しました。

GoogleMapに貼り付けた小池太郎稲荷神社

太郎神社“メモ”

 岡谷市に「浦野太郎神社」が数社あります。何れも稲荷神社ですが、その名称「浦野(浦之)太郎」が不明で、私には謎の神社となっています。諏訪湖畔ですから、かつて「浦村」が存在していたとすれば説明がつくのですが…。

 ネットで見つけたPDF『稲荷信仰から見える江戸』に、〔2.3 稲荷社名称別合計〕の表があります。江戸限定ですが、全体の17.4%を占める〔土地神〕があり29例を挙げています。次が、15%を占める[憑き物関連(※人や物)]で、25例の中に「太郎」がありました。太郎さんに憑いたキツネを祭ったということでしょう。
 表には補足がありませんが、両者が複合したものもあります。憑き物関連「お岩」と土地神「四谷」で、四谷怪談の「四谷お岩稲荷」を挙げてみました。
www.soc.titech.ac.jp/publication/Theses2008/master/06M43309.pdf

小池太郎稲荷を探せ

 地図で探すと、「諏方明神」は「小池神社」としてありましたが、太郎稲荷神社はありません。明治期の合併で小池神社に遷された可能性が極めて高いのですが、何しろ村名を冠した神社です。まだ、古絵図に載る現地で頑張っていることに賭けてみました。

 江戸時代の道を現在の道に置き換えてみると、小池神社と「地蔵清水」の位置からおよその場所が推定できました。さっそく「ストリートビュー」でその周辺を“走って”みましたが、赤い(かどうかわかりませんが)鳥居はもちろんのこと、それらしきものもありません。

小池太郎稲荷(ストリートビュー)
ストリートビューで目星を付けた林

 何回か“周遊”する中で、鎮守の杜と言える緑塊に目を付けました。しかし、その道に入ることはできません。地図では袋小路になっていますから、ストリートビューでは取り上げなかったのでしょう。

小池太郎稲荷参拝

 今日は、諏訪大社下社の御柱祭「里曳き」の中日です。まー、それは下社の氏子に任せておけばいいので、私は太郎稲荷の探索に出かけました。

 「これが江戸時代の道か」という感慨より、駐車スペースを見つけるのが先です。ようやく確保して、徒歩で、ストリートビューで目星を付けておいた道(上写真)に入ります。ところが、その先は民家の木戸に消えていました。プライバシー保護の談義が多いストリートビューです。さすがの「Google」も遠慮したのでしょう。
 しかし、目前の林は、鎮守の杜として相変わらず怪しいままです。伸びた草の下は私有地と思われますが、周囲の畑は耕作前なので、背後に人の姿が無いことを確認してから強引に進みました。

太郎稲荷神社 生け垣に沿って回り込むと、ジャーン、お稲荷さんの赤い鳥居が現れました。さっそく鳥居額を仰ぐと「小池太郎神」です。江戸時代の神社が平成の世でも健在だったことに感動し、それを突き止めた私の執念を讃えました。「これだから、神社探しは面白い」と一人はしゃぎしましたが、世の圧倒的多数の人には疑問を投げかけられる“行為”であることは間違いありません。

太郎稲荷「境内」 イチョウの木に囲まれていますから、秋にもう一度来ようと思わせる境内です。比較的新しい玉垣と中途半端な荒れ具合から、今でも祀る人がおり、年1回は手入れをしていることが想像できました。

太郎稲荷(石祠) 石祠の中に何枚かの木札が納めてありました。薄れた墨跡でも「小池太郎」と読めましたが、隠れた下部にどのような文字があるのか気になります。
 鳥居の右前方に、塀に囲まれた広大な屋敷があります。隣地にある納屋がその敷地の一部とも見えるので、その祖先「小池太郎」さんを祀った祝神とも思えてきました。


太郎稲荷鳥居 帰りに、鳥居の間から遠望できる山を撮りました。北アルプスの一部としか言えませんが、その「◯◯岳」に向いているのではなく、下方の平地(松本平)を見下ろしているということでしょう。
 帰りは、鳥居の前であっても参道が無いので、田畑の畦を通って車道へ出ました。

小池太郎稲荷
小池太郎稲荷神社(中央下の赤い鳥居)

 江戸時代の道でもある車の道から、ギリギリですが鳥居が見えました。これで、車載カメラの位置(ストリートビュー)では、土手の草に遮られて撮影できなかったことがわかりました。左の塀が、太郎稲荷神社との関連が窺えられる、館(やかた)とも言える屋敷です。

 予定通り、寿図書館へ向かいます。地元なら、詳しい史書があると睨んでいたからです。しかし、『松本市史』があっただけでした。そのため、本来はこの場所に輝いているはずの「小池太郎稲荷とは」が書けなくなりました。