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千鹿頭神・宇良古山・宿世結神・逢初川 松本市神田・林 23.6.15

 文献によって「宇良古・うらこ・うらご」「逢初・逢染」の違いがあります。
千鹿頭山
広沢寺から見た千鹿頭山

 標題に挙げた四つの名称は、諏訪の地から、松本の千鹿頭神社に対して長い間暖めていた“私のキーワード”です。整理をするために千鹿頭神社周辺にあった案内板を並べてみました。
■ 山辺歴史研究会・里山辺公民館「千鹿頭神社」

祭神 千鹿頭神・合祀 林六郎公 千鹿頭神は諏訪の国津神の洩矢神の神子 今も諏訪湖西岸の有賀地籍中腹に古き千鹿頭神社あり

祭行事 例祭 九月十五日

御神紋 梶の葉

本社殿 祭り行事は両者相談し同じ日に行う 現在の社殿は、元文五年(1740)に松平光雄公造営と云う。

(まづ)の宮 祭神は大己貴神命(大国主命)

(はら)神 祭神は建御名方命(昔鎮守神として尊崇した)

王子稲荷 祭神は蒼稲魂命 林城より深志城へ、そして千鹿頭へ移祀された。

宿世結神(しゅくせむすびのかみ) 林六郎公の息女のうらこ姫と言う。(一部省略)

■ 里山辺地区景観整備委員会設置「千鹿頭神社」

 創立の年月は詳らかでないが、延暦年間、田村将軍利仁の副将軍藤原緒継と林の里長六郎公が相図り、「うらこ」山より現在の地に諏訪洩矢神の御子神千鹿頭神を移し祀ったと伝えられている。(後略)

■ 千鹿頭山周辺整備推進委員会設置「千鹿頭神社沿革」

 千鹿頭神社の創建については詳らかではありませんが、太古の昔より諏訪信仰と深い連りのある千鹿頭大神を祀り伝えてきた社であります。古は先の宮 (現在の四阿付近)にありましたが、中世には戦乱によって社殿も焼失し、その後、現在地に移されたと伝えられています。(後略)

 諏訪では「千鹿頭神は、松本の宇良古山へ追放された」という話があるので、案内板のレベルでは、「宇良古山は千鹿頭山の尾根先・千鹿頭神はこの地で宇良古比売を娶(めと)った」と考えました。

逢初川

 案内板とは別に、松本藩主水野忠幹が家臣に命じて編纂させた信濃の地誌『信府統記』があります。「名所記 附 古歌」に、千鹿頭山麓の神田地区を流れている「逢初(あいそめ)川」が載っています。

 逢初川
筑摩郡山家(やまべ)与千鹿頭山の麓にある小川なり。古へ此川涯に愛染明王の祠ありしか、今は修覆(修理)することなかりしゆえに跡ばかり殘(残)れり。又此所にうらこ山というあり。其山にすくせむすふの神立給ふ跡とてあり、是を當国名所の恨山なりと云伝うれとも、其説はさだかならす。逢初川うらこ山のことは、諸社記千鹿頭縁起に見ゆ。
 春雨 信濃なる逢初川のはたにこそ
すくせ結ふの神はましませ
信濃史料刊行会『新編信濃史料叢書』

 「愛染明王の祠ありしか」と「宿世結の神立ち給う跡」が同じものを指しているように思えますが、それは別として、一部重複しますが同『信府統記』から「松本領諸社記・山家与」です。

 千鹿頭大明神 林村
一、千鹿頭山は古へ鶴ヶ尾根と云う。小高き峯は亀ヶ峯と云う。是(ここ)に府中六社の内「まずの宮明神」とて社有り。御神体は大己貴命なり。本社は両社共に大明神にて、諏訪勧請。昔は大社なり。天正年中焼失。その後小社となり、暫く本社舞殿ばかり修復す。麓なる小山をうらご山と云う。是にしゅくせむすぶの神立給う。是は林六郎の妻を祝えり。祠の跡あり。此麓の川を逢染川と云う。古歌に
 信濃なる逢染川の辺りにそ
しゅくせむすびの神はまします
信濃史料刊行会『新編信濃史料叢書』

 ここでは、宇良古比売が林六郎公の妻になったり、宇良古山が現実には見当たらない「(千鹿頭山の)麓なる小山」になるなど“安定”しません。それらが交錯して「千鹿頭神の消息」が推測にしろまとまらなくなりました。

うらご山

 下中邦彦編『長野県の地名』の「神田村」に「うらご山」が載っています。

山の西側を古来うらご山といい、逢初川の上流となり田川に合流する。

 ここで「西側」という具体的な場所を得たので、以上に挙げた資料を参考にして、宇良古山がどこにあるのか探すことにしました。

『諏訪藩主手元絵図』

諏訪藩主手元地図「神田村」 現代の地図では見込み薄なので、諏訪史談会『復刻諏訪藩主手元絵図』から「神田村」を開きました。関係する千鹿頭神社付近を切り取ったのが左の絵図です。
 「逢初川の上流・千鹿頭山麓の小山・西側」で見回すと、上部の「森」がそれに該当します。都合よくそこに宿世結神と思われる神社がありますが、…拡大しても「◯◯神」としか読めません。赤線で囲ったその神社は絵図とあって方角・距離とも正確ではありませんが、千鹿頭神社入口の鳥居が現在ある鳥居と同じ位置ならば北側に当たります。そんなところに神社があった記憶はありませんから、「小祠が一つだけ」というのが現状かもしれません。

恨去神

諏訪藩主手元地図「恨去神」 読めない「◯◯神」ですが、発想を変えて「うら・こ」を様々な漢字に変換したものを『電子くずし字字典データベース』で参照したら、「恨・去」と“ほぼ”確定できました。
 本の『手元絵図』では「2mm角の印刷した筆字」なので、拡大してもドットが目立つだけで限度があります。「ほぼ」を除くには県立図書館所蔵の『諏訪藩主手元絵図』の原本で確認するしかありませんが、宇良古の異称「恨去」で間違いないでしょう。

 千鹿頭神とその妻の“行方を追う”中で、「千鹿頭神と宇良古比売」が松本の地で「林六郎とその妻」に習合した流れが見えてきました。「山辺学校歴史民俗資料館」で見つけた絵図を基に、宿世結の神祠を訪ねた紀行文は以下のリンクで御覧ください。


‖サイト内リンク‖ 「うらこ山(宇良古山)と宿世結の神」