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五社神社(朝日村) 東筑摩郡朝日村 31.2.9

■ 「鉄鐸を拝観してから」まとめる予定でいましたが、未だ果たせない今、通常の参拝記としてアップしました。

東筑摩郡朝日村 「鉄鐸(てったく)」について調べると、その一つに「五社神社の鉄鐸」が挙がります。社宝とあってはアポなしの拝観は無理ですから、「朝日村の三峯社探索」時に、表敬という形で参拝することにしました。

 朝日村村誌刊行会『朝日村誌 下巻 歴史地区誌年表』〔神社建築〕からの抜粋です。

五社神社
 神社の創建は明らかでないが、社宝の鉄鉾・鉄鐸から考えると平安時代までさかのぼるかもしれない。
 棟札によると現本殿は延享2年(1745)12月、諏訪東堀村大工棟梁渡辺元右衛門によって建立されたものである。祭神は、建御名方命・事代主命他三神。

 この書き方ではかつては諏訪神社だったことが窺われますが、〔地区誌/西洗馬地区〕に「他三神」がありました。

南方富美命・事代主命・天津彦彦火瓊々杵命(あまつひこひこほのににぎのみこと)・天香語山命(あめのかぐやまのみこと)・金山彦命

五社神社参拝 26.8.12

朝日村五社神社 「西洗馬(にしせば)」といっても、JR中央西線洗馬駅の西側というイメージしか持ちません。その里に吹く強めの風が、シャツを揺らし、上半身に貼り付くのを防いでくれます。その恩恵を受ける中、「五社大明神」とある五社神社の鳥居をくぐりました。

朝日村五社神社

 手水舎では山沢から引いた水が蕩々と流れていて、暑さがさらに和らぎました。しかし、ここに留まっていても事は進みません。再び太陽の下に出ます。

朝日村五社神社 拝礼の後で拝殿の横に廻ると、本殿の廻縁に随身像が見えます。その大きさに加え今は盛夏期とあって、日射しを避けて寛(くつろ)いでいるようにも見えてきます。
 何か違和感があるので近づくと、日中なので「そうか」と頷けますが、ギョッとなること請け合いの目なし随身でした。

朝日村五社神社 玉眼か、もしくはそれに代わるものがはめ込んであったと想像できます。しかし、今はブラックホール化しているようにも思えますから、斜めから撮ってみました。
 実は柵で囲われているのでその正面に立つことができなかったということですが、自宅で見つめると、後頭部が何か変です。さらに凝視すると、耳の形が逆です。下部の刳り抜き部も見えることから、上下を逆に取り付けたことがわかりました。そうなると、不気味さも、「あまり見ないでね」と何か恥ずかしがっているようにも見えてきました。

五社神社 本殿の床下に立て掛けられた、用途不明の板です。これに書かれた神が「五社神社」と合点し、この神社を後にしました。
 ところが、この写真の説明を書く中で、祭神名が『朝日村誌』と異なっていることに気が付きました。読み直すと、「明治41年に、天狗社・社宮司社・浅間社・天王社を合祀した」とあります。それもおかしいので長らく不思議に思っていましたが、四本が二枚重ねであることに気が付きました。その枚数から五社+四社の計九社と一致し、一件落着しました。

 因みに、五社神社の鉄鐸は用途不明となって、現在は鉄鉾の柄の石突きとして装着されているそうです。