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玉依比売命神社「御判神事」 長野市松代町 30.1.8

御判神事

 社頭の案内板にある〈 主たる神事 〉の一つです。

児玉石神事の横で、氏子総代たちが集まり作物の神占いを行う。稲や大麦、小麦など九種類の穀物の作柄の上・中・下を占う。

 「もう少し詳しく」という方には、信濃毎日新聞社編『松代/歴史と文化』から玉依比売命神社の一部を転載しました。

 児玉石の神事に続いて包換と呼ぶ神占いをおこなう。前年の正月七日神前に供えた紙包みの蒸飯についた麹(こうじ)のつき具合によって、稲、麦、大豆、粟等の作柄の上中下を判定し、来年のために神前に供えた蒸飯を十二(?)の小紙に包み、それぞれに作物名を記してひとまとめにして、甕に詰め密閉して神前(奥殿)に供え御神事を終了する。

 古文献から知りたいという人に備えて、寛政10年に書かれた『信濃国埴科郡池田宮縁起』の一部を用意しました。

一、神主・祠官・神宮寺寄居(よりい)、神祭祈念終りて東條村役人荒町村役人立合て、五穀の判事開封いたして、其吉凶を定む、前年封印の供物に其名を書記し、其定(さだめ)は早稲・中稲・晩稲(おくて)・大麦・小麦・大豆・粟・木稗(きび)等到る八包也、瓶の内より取出し上中下三段(たん)の見量を究(きわめ)(わけ)、当作の吉凶は当社の神筮(しんせん)神慮の至極(しごく)也、
 旧年の供物共儘に天(て)色不染を上と名附かし、黄じみ入(ふけ)(※黴びる)出るを中とし、全て腐(くされ)出るを下と名付る、中は別“あたる(中る)”と訓解して是を作毛は“よ路し記(よろしき)”と定む、其上又前年の如く供物は包八種一固(かため)右の瓶に入箱に納め封印、事堅して、社壇に誨筮(かいぜい)の神例也、

御判神事(ごはんしんじ) 30.1.7

 以下の説明は、私の(勝手な)実況です。大筋では大きな違いは無いと思いますが…。

御判神事 児玉石神事が続いている中、氏子総代と思われる男性が神前から箱を下ろし、祝詞殿の隅に置きました。御判神事の開始です。


五穀御判神事「開封」 作物の名を書いた紙包みをほどき(右上)、五包のそれぞれを役員に渡します。各人が開いたものが並ぶと、総代が判定を下します。異義がなければ、その判定が確定します。


御判神事 三方に載せたものを机に置き、参観者に公開します。
 この場合は原形を留めている(腐ってはいない)ので、「中」ということになります。


御判神事 書記二名は、「上・中・下」の判定を記録します。項目に「御田祭包換」とあるので、正式名称は「包換(つつみかえ)」でしょうか。

 「早稲・中稲・晩稲・大麦・小麦・大豆・栗・麻・木綿」のすべてに判定が下されると、来年の準備に入ります。

御判神事「包換」 神前に供えてあった強飯を少量分取り分け、その五つを交代で包みます。全員が神事を執り行っているという意識を共有させるためでしょう。


御判神事 総代は作物名を書いた紙でそれらを包み、順に甕に納めます。
 すべてを納め終わると、甕と箱の蓋をし、再び神前の案に安置されました。


御判神事 これが、370年前に新調された収納箱です。文献では「封印」ですが、割り箸状の棒でロックされただけでした。もしかしたら、神事に使った割り箸そのものかもしれません。


御判神事「本殿へ」 神事の見納めとして本殿の写真を撮っていたら、拝殿から総代が上がってきました。見えませんが、抱えていた箱を神前に納めたのでしょう。
 実は、これは平成25年の写真です。今回は雪が舞ってきたので、待ちきれずに松代町を後にしました。


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