韮崎市に、本殿の代わりに、お腰掛(おこしがけ)と称する木の枠を安置した神社が幾つかあります。その一方で、甲斐市には石製の枠を御神体とした神社があります。
その「石製のお腰掛」を調べる中で、北杜市に、「桟(さん)の神」と呼ぶ小型の石枠があるのを知りました。
明野町図書館に寄ると、願ってもない本がありました。石造物の解説に、これから行かんとする石枠の説明があります。
他の冊子に、「北組」の場所が地図として載っています。それが図書館の近くにあることを知り、正面に諏訪とは山容が異なる八ヶ岳、左方にその長大さからやや圧迫感を感じる南アルプスの山並みを眺めながら歩きました。
火の見櫓があるので、人家はまばらですが北組の中心地でしょう。そう見ると、右の小路が古くからの道で、この辻に道祖神があるのも納得できます。その道祖神ですが、背後の石垣に同化して区別がつかないので、他の石祠を含めた石造物群として以下に用意しました。
本題の山の神ですが、平地(裾野)にある不思議さも、背後の「百名山の茅が岳」を神体山として祀っていると考えれば納得できます(例によって他所から移した可能性もありますが…)。
これが高さ140cmで158cm
四方の山の神ですが、深掘りする目を持つ私は、上枠と支柱の組み合わせ面に違和感を感じました。実は、御崎神社の山の神を見た後でしたから、その隙間や寸法の不揃いが何に起因するのかが直ぐに理解できました。
長年この造形(組み合わせ)を見馴れている北組の人には申し訳ないのですが、それを否定することになる山の神を頭の中で組み直すと、
1. 1の上下を逆にする。
2. 2を、上向きになった1のホゾに差し込む。
3. 3を外して左に90度回し、1の片方のホゾに差し込む。
4. 余分な石を処分する。
となり、小袖(御崎神社)の山の神と同じ井桁状になります。ただし、地元の住民は「これが北組の歴史だ」と開き直りかねないので、ここだけの話しとします。
『明野村誌』を読み直すと、地区毎の解説に以下のものがありました。