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天伯社と「さんよりこより」 伊那市美篶・富県 1.10.20

 飯田市で首尾良く御射山社に参拝できた勢いで、伊那市美篶(みすず)に寄ることにしました。信濃の枕詞「みすず」にも通じる土地とあって気になっていたからです。調べて、現在の大字「美篶」は、明治以降の村名とわかり直接に関係はなくなったのですが。天伯社(てんぱくしゃ)が多くあることを知りました。
 いらぬ心配とは思いますが、子どもを含めた美篶の住民は「篶」を正しく書けるのでしょうか。私は「みすず」で漢字変換するだけですが…。

天白社(旧美篶村下川手) 1.7.21 

川手天白社 ナビの指示通り、社殿を正面に見る道から入りました。そのため、私には大河に映った三峰川(みぶがわ)ですが、境内では、その存在などまったく意識することがありませんでした。後で調べて、本殿が三峰川に向いていることがわかりました。

天白社

 鳥居が社殿の裏にあります。その不審さを記録しようと撮ったのがこの写真です。それは今だ未解決のままですが、鳥居の右に案内板がありました。
 タイトル「さんよりこより −川手天伯社− まほら伊那 いいとこ百選」を見て、「さんよりこより」の概要は頭にありましたが、この神社で行われることを初めて知りました。

 「さんよりこより」とは、ここ美篶上川手(かみかわて)区・下川手区の天伯様、三峰川(みぶがわ)対岸の富県(とみがた)桜井区・北新区(ほくしんく)北林の天伯様の七夕祭りで、毎年8月7日に行われます。二つの天伯社の由来は約580年前の室町時代にさかのぼります。
 応永34年(1427)藤沢村片倉(現伊那市高遠町)におられた天伯様が大洪水によって押し流され、はじめ対岸の桜井村に流れ着きました。天伯様はそこに落ち着かれるかとみえましたが、再び洪水で流され、川手村のこの地に落ち着かれました。これを縁として川手(後に上川手・下川手に分村)・桜井で天伯社をお祀りしたのが始まりです。
 「さんよりこより」とは洪水を起こす厄病神を叩き潰す神事の掛け声からきています。この社から御輿に神様を奉った後、広場で笠をつけた大人二人(※鬼)が太鼓を叩くとその周りを七夕飾りの竹を持った子供たちが「さんよりこより」と言いながら回り、3周したところで中心の大人を滅多打ちにします。それを3回繰り返した後、御輿を担いで天の川に見たてた三峰川を歩いて渡り(御輿渡御(みこしとぎょ)と言います)、桜井の天伯社に神様をご案内します。
 その後同じお祭りを桜井でして、再び三峰川を歩いて渡ってこの社に神様をお戻しします。
 明治時代のある年、桜井より御輿渡御の儀を略して欲しいと申入れがあり行わなかったところ、桜井に疫病が流行しました。これは神罰であろうと以後、御輿渡御は復活し現在にいたります。御輿渡御の際は絶対に三峰川は荒れない、また、飾られた御輿の下を三回くぐると健康になり、妊婦は安産すると言われています。

ということで、桜井の天伯社も参拝することになりました。

天白社(旧富県村桜井)

天白社

川手天白社 併記してある地図通りに川向こうとなった山麓の道を進むと、道端に、「川手」が「桜井」に変わっただけの同じ案内板がありました。
 この天伯社は山裾にあって、先ほどの田圃に囲まれた神社とは対照的な暗さがありました。ここでは川を意識して、「鳥居は三峰川に向いているが社殿は上流を背にしている」と説明してみました。川というより、桜井の集落に向けているのかもしれません。

「さんよりこより」

 「さんよりこより」をネットで調べると、多くが「さあ、寄ってこいよ」などと解説しています。
 長野県『長野県町村誌』〔美篶村〕から転載しました。

【天伯社】村社 本村之村社也して(中略)。本村の西にあり平地にて田間なり。祭神棚機姫之命にして祭日は九(※七?)月七日。例祭に村内人民願望成就のため破笠を被り繾々(繾綣?)の衣服を着し太鼓を打つ。歌に云「サイヨリコヨリがなくば糟味噌(かすみそ※味噌糟?)」と唄う。児童七夕のナヨ竹を持ち打擲(ちょうちゃく)すること三度。暫時ありて神官指揮し神輿を駕(が)し、三峰川を隔て富県村の内字片倉に鎮座す天伯社社へ渡御あり。又土俗言伝いに棚機姫を祭るに仍て絹木綿の別なく竹に巻き神前に備うことを今行わる。

 囃し歌の冒頭部分「サイ」は「菜」に掛かっているようなので、「寄る」とは別の意味がありそうです。また、大勢で囃すなら「みそっかす」の方が語呂がいいので、「かすみそ」は誤記でしょうか。布団に入ってそれらを何回も唱えてみましたが、納得できる“解”は見つかりません。

 同書の〔富県村〕に、桜井の天伯社が乗っていました。

【天伯社】雑社 村の卯の方にあり。祭神瀬織津姫命、祭日七月七日。

三峰川と天伯社

 天伯社が三峰川を挟んで四社あります。その密度の濃さもあって、鎮座地をマイマップ上に示してみました。


 この地の天伯社は、案内板から川を伝って伝播したことが明らかです。そのため、それ以外の勧請理由を挙げることができません。そこで、典型的な「河天伯」としました。