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近津神社 佐久市長土呂 30.9.15

 新海三社神社巡拝の計画を立てる中で、佐久に近津神社があることを知りました。「千鹿頭」神社の別称ともいわれている「近津」神社ですから、これは見逃せないと巡拝コースに組み入れました。

近津神社参拝 30.8.25

 鳥居の前に飾られた提灯を見て、「今日は例祭か」と喜びました。

佐久市長土呂「近津神社」

 社殿は幕で飾られ幟旗もはためいていますから、もうお祭り一色です。拝殿前にも四神がセットされ、そろそろ神事の始まりという様相ですが、…人っ子一人いません。時間帯から、昼食解散したと考えました。

子安社と穂屋 上写真中央に小さく写っているのが、穂屋に酷似したこの仮屋です。
 諏訪大社では、8月26・27・28日が御射山祭です。近津神社が諏訪系とすれば、直近の日曜日(つまり今日)を御射山祭に変更した可能性は十分にあります。
 ところが、「穂屋で間違いなし」と覗き込めば、上下に仕切られています。「近津系穂屋」も考えられるので、それらの情報を得るために、空腹に耐えながら30分以上待機しました。結局は誰も現れず、近津神社の祭神にも見放された思いを抱きながら次の新海神社に向かいました。

 佐久市志編纂委員会『佐久市志 民俗編上』〔地域の祭〕に、答えが載っていました。

茅ぼえ祭り
 近津神社では、「湯立」が春祭りの行事であるのに対し、秋祭りには穂屋を建てて神霊を迎えるほか、摂社の子安神社で〈茅(かや)ぼえ祭り〉を行っている。八月二十七日ごろになれば、野の茅はたけ高く成長して穂すすきの時期に入る。穂屋と〈茅ぼえ〉にはこの穗すすきが使用される。穗屋は穂が出た薄を刈り集めて片屋根式のお仮り屋を掛け、屋根と両側・背面を薄でふき囲い、なかほどには同じく薄で段を設け、中央を区切って二間社様にして段上に神霊を迎えてまつっている(中略)
 子安様は妊婦の安産を守ってくれる神仏なので、なかには底のない柄杓(ひしゃく)を供えて安産祈願をしているところもみられるが、近津の子安神社では、社務所に準備されている長さ一メートルほどの穗茅に幅・直径とも六センチほどの鉋屑(かんなくず)の輪をつけた〈茅ぼえ〉をうけて、社殿の前に供えることになっている。

 「穂屋を建てて神霊を迎える」なら御射山祭でしょうが、標題が子安社の「茅ぼえ祭り」なので、穂屋の説明だけで終わっています。奇名の「茅ぼえ」ですが、説明がないので「茅穂柄」を当てはめてみました。しかし、私が勝手に改称しても…。

近津神社の由緒

 境内に案内板(由緒書)がなかったので、図書館で探してみました。

近津社村社 祭神味耜高彦根命(あじすきたかひこねみこと)。創立年月日不詳 寛文二年(1662)壬寅、神職角田右京の出火の時、舊記悉皆焼亡。永禄四年(1561)辛酉、村上氏の降士某等武田氏に反し、越後上杉氏通ず。晴信疑心を生じ当社に於いて本郡の地士に、湯起請を為さしむと

末社五社あり、【八幡宮】【太神宮】【天満宮】【子安ノ宮】【賀茂宮】何れも祭日本社に同じ。

長野県『長野県町村誌』〔長土呂村〕から抜粋

 「湯起請を為さしむと」の続きになるのが、前出の〔地域の祭〕にありました。

とあるが、地元ではそれを近津神社の湯立始めとしている。
 もと近津神社の祭りは、春は近郊中もっとも遅く、秋は反対にもっとも早いといわれていたが、そのことは現在も変わりなく春は四月二十七日、秋は八月二十七日に行われている。なお、近津神社は諏訪明神系の神社で、祭りの際には諏訪神社の方角に向かって祭事を行う習わしがあり、そのための遥拝所が設けられる。

 遥拝所らしきものも思い出せないので、どこに鎮座している諏訪神社を遙拝しているのかは不明です。「穂屋の神事」も気になるので、「来年は例祭の見学を」と心に誓いました。

近津神社本殿

 「拝殿の板戸に絵があるので、ワイド版で本殿を紹介しました」はともかく、朱の定紋幕は諏訪神社系の「立穀の葉」ですが、本殿の御扉は「楓」です。拝殿前の幕は「下がり藤」ですから、社殿の造営者や崇敬者などの思いが複雑に絡み合っていると見ました。

謎めいた(変な)御神体

 参道脇に「交通神社」なる石祠があり「祭神は、どなたになるのかしら」との疑問も生じますが、その左にあるのが、前面が格子戸の小さな社です。

白山社 やや遠慮した場所にあるので、村内から移された境内社という位置付けでしょうか。
 中を拝観すると、穴が空いた石があります。格子の端から何とか全体が撮れたこの像を改めて見ると、余りにも素朴な造形なので、どう評価していいのやら…。
 帰りに、その前に幟旗があるのに気が付き、読むと「白山大明神」でした。祭神は「菊理姫命(白山比当ス)」に相当しますが、…お腹の穴が。

角田家の奥津城

 (ここでは書きませんが)故あって、近津神社から「イオン佐久平店」まで歩きました。(夜のニュースで最高気温35度と知った)余りの暑さに耐えかね、道沿いの小公園を覆う木陰で一休みと近づけば、生垣の向こうに何かの石造物が…。透かして見ると石祠です。

角田家奥津城 「ここに神社が…」と回り込むと墓地のようで、戦没者の石塔も並んでいます。その一画を眺めると、この景観がありました。ここまでの距離から見て、近津神社の神官を務めた一族の奥津城と直感しました。灯籠に「神主角田…」が読めたので、写真に撮って持ち帰りました。

 自宅で拡大すると、「文化三年丙寅(1806)十月吉日・神主角田伯(耆?)守信光」が読み取れました。ネットで調べると、明治13年に熱田神宮大宮司に就任した「角田忠行」に近い人物とわかり、「つのだ」と読むことも知りました。

諏訪神社遙拝所

諏訪神社遙拝所 渡辺市太郎編『信濃宝鑑』の図録〔近津神社の景〕に、遙拝所が描かれていました。