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風三郎神社 上伊那郡中川村大草 29.10.13

 長文の引用(参考文献)があります。「現在の風三郎神社」のみを知りたいという方は、適当に読み飛ばしてください。
黒牛と風三郎神社
昭和6年頃の五万分一地形図『飯田』

 明治22年に、大草村・葛島村・四徳村が合併して南向村(みなかたむら)。昭和38年に、南向村と片桐村が合併して中川村となった沿革があります。
 その原初は黒牛村と思われますから、時代によって村名が異なることに留意してください。


風三郎を祀る風穴と神社

『顕幽本記』

伊那郡中川村 まずは諏訪の史料です。「私は、これを読んで、風三郎神社に深入りする羽目になりました」という私情はさておき、嘉永年間(1848−1855)に書かれた松沢義章著『顕幽本記(けんゆうほんき)』の〔夏之部三〕には、「風の三郎」を祀った風穴の記述があります。かなり読みにくいので、(意味不明な箇所がありますが)原文を損ねない程度に書き替え、ふりがなや若干の注釈を加えて転載しました。

 伊那郡大草村の山に、「くろうじ」と唱えて今は黒牛と書ける里あり。此所に人家三十ばかりあり。此人家のある所より東の方凡(およそ)十七、八丁ばかり山に上がりて、谷間の巖に風穴と唱える穴あり。其内に金(かね)にて造れる注連(しめ)をかけ、金にて造れる幣(ぬさ)を建てたり。
 此二種の物は、何れの世にいかなる人の造れるにか其故由(ゆえよし)を知る人なしとなん。予(※私)或人に此風穴の状(かたち)を問いしかば、其人答えて言いけらく。此穴は巖の中を横に奥深く明(あき)たるにはあらず。其巌の穴の口より少し入れば、地下へ向きて其深さいくら有るべしとも計(はかり)知られずと聞き伝えたり。

 先半(先般)大草村の新兵衛という人此は予も知れる人也 いずこ(何処)の武士なりけん三、四人の導(みちびき)して此所に至り、酒など呑みて後此穴の内を見んとて新兵衛一人此巖穴の内に入りけるが、忽(たちまち)落ち入りて上る事能(あた)わず。助けられよという声幽(かすか)に聞こえける故(ゆえ)人皆驚き、太き縄の廿尋(20ひろ※36m)ばかりなるをさし下し共に取りつかしめ、かろうじて引き上げたりき。
 然(さ)て穴の中の状(かたち)はいかなりしと問いたれば、吾ば落ち入りてより忽夢の如くなりて凡百丈(※300m)ばかりも落ち入りしと思う頃、岩と思(おぼ)しくて少しさし出たる所に手の掛かりけるまましかと取付き、穴の半(なから)なるべく思う所に止まり居て大声あげて呼ばりしが、此所へば幽に聞こえけるよと言いしばかりにて、其他の事ともを何くれと問いしかと甚(はなはだし)く恐れこめる状にてふつに(※まったく)言わざりしとなん。かかれば(※このように)其深さの計り知られずと言うも、実にさる事にさりけりと言えり。

 又、其神社は人家のある所にありて年ごとに神事あり。人もし此穴の近き辺りに至れは、怱大風吹いて幾日にも及ぶ。又、其近き渡りの草など枯れ木など伐るときは烈風吹あれて、十里二十里の間大木を転ばし人家を倒しなとす。
 此は先(さき)つ年も其件数多く有りて予も見聞き。人も能知れる事也故(ゆえ)、恐れて其穴の近辺に至る者なし。又毎年稲の稔る以前より刈收める頃までは、其里に定め有りて其道すじに人を出し置き、昼夜守らしめて其穴の辺りへ人を通さず。此は大風起きて国中の稲を損なわん事を恐れて、古より爾(それ)なし来れりと言えり。
 予先(さき)つ年大草に至り、其社の例祭を司(つかさど)る神主に会いて斉き祭らるるは何の神にますと問いしかば、里俗(さとひと)風の三郎樣と申し伝われど、志那津比古命(しなつひこのみこと)にてぞまし坐らむ。然れども太古の事にて正しく伝われる書物等も蔵(おさ)め侍(はべ)らねば、確かに其神なりとも申し難(がた)くそうろうと答う。
 其は風の神にませば爾(そ)も有りなん。又くろうじと唱うるは何の故(ゆえ)ぞと問いしかば、其は何の事とも辨(わきま)え侍(はべ)らずと答えき。風穴と唱うる所は今の諏訪にもあり、又木曽にも有りと聞かれとかはかり霊威(たすし)く神威を見(あら)わし給うは聞き及ばず。(後略)

諏訪教育会『復刻諏訪史料叢書 第三巻』

『南向村誌』

 南向(みなかた)村誌編纂委員会『南向村誌』の〔民俗〕から、[民話(伝承、口碑)]を転載しました。

風三郎 黒牛に風三郎神社があり風の神を祭ってある。風の神は級長津彦命(しなつひこのみこと)と級長戸辺命(しなとぺのみこと)であろうが、風災を免れて豊作になるように守る神である。
 この神は日本中どこでも風三郎と呼ばれているが、黒い牛に乗ってきて風穴という岩穴にこもった。風の神は獅子が嫌であるから北山方には古来、神楽の獅子や越後獅子が宮の入坂より奥へ上ったことがない。もし一度この坂から上に登れば暴風を起こすといい伝えている。

 奥宮の風穴は巌石が嶮しくて女や子供や老人がお参りしにくいため、麓の前宮でお祭りをしている。風祭には、青竹に幣や麻をしつらえて神前に供え、神官が祝詞を奏上した後にこの青竹を持った若者が境内の杉の木のてっぺんへ登って力いっぱい青竹を西の方になげて、もし川(※黒牛沢)を越せば豊年とされていた。
 美女森社(※大御食神社)伝記の中に大草の里、黒牛にます風の神の云々との一文があって、(後略)

大御食神社(おおみけじんじゃ)『社伝記』

風三郎神社奥宮
大御食神社拝殿

 駒ヶ根市に鎮座する大御食神社の社伝記に、「風三郎」とは書いてありませんが「風の神の祟り」が載っています。『南向村誌』〔宗教〕[神社]から、「美女森社伝記 神代文字落合一平解説と伝う」とある一文を、そのまま読めるようにして転載しました。

 雄朝津間稚子宿禰尊(おあさつまわくこすくねのみこと※允恭天皇)の御代、五年秋七月十余一日(とまりひとひ)より暴風吹き、雨降りて五日五夜強くて止まず。故に八十上津彦(やそうわつひこ)、大御食社(おおみけのやしろ)の神の御前に御祈りするに、神告げて告り曰(のりたま)わく。
「大草ノ里、黒牛に坐(ま)す風の神の祟りなり。
 この神実(かみざね)を祭らば、穏(おだい)ならむ」
と、現(うつつ)に告り給えり。
 是は長々(おさおさ)しきこと也と、大草ノ里長(さとおさ)武彦は、岩勢・吾道宮主(あちのみやぬし)牛足彦(うしたりひこ)と共に議(はか)りて、種々の物を捧げ奉りて、称辞(たたえごと)申し給いしかば、風凪(なぎ)雨止みて穏(おだい)に也。七日の次の日空晴れて、日の御影明らか也。
 打集(うちつどい)し里々三十二里の人々也。その祭りし所を御響所(みあえどころ)と云う也。

風三郎神社参拝 29.10.1

 松川ICで降り、天竜川を渡っての大草入りとなりました。「松沢義章さんはワラジでここまで来たのだから、よっぽどの好き者なんだろうな」と、時代は違えども同好の士に感じる親近感を持って、ナビの指示のままに進みます。
風三郎神社 黒牛の集落を過ぎてさらに傾斜を増した道を突き進むと、なぜかティピー(インディアンのテント)が…。不審に(場違いと)思うも、すぐに林道に突き当たり、その向こう側の斜面に「風三郎神社」碑がありました。

風三郎神社

風三郎神社 「おー、これが風の又三郎か」と、つい、関係ない宮沢賢治の作品が浮かびます。それを打ち払いながら石段を登り詰めると、社殿と見えたのは覆屋で、その中に小さな祠がありました。
 覆屋の社額に書かれた「風三郎大神」が、わずかな木漏れ陽の下では結構鮮やかに見えます。「明治7年」を読んで比較的新しいものと見ましたが、考えてみれば、もうすぐ150年という古さでした。

風三郎神社 祠の床下に、土器(かわらけ)が置いてあります。ところが、よく見ると塗りが剥げた木皿でした。
 それらに混じった椀と柱に下げられた椀があり、すべての底に穴が空いていますから、同じ目的を持って奉納されたことがわかります。
 塩尻市の「耳塚(みみづか)様」では「耳が聞こえるように」と穴が空いた椀を奉納しているので、ここも同じと理解しました。

 多少の知識があったので、背後の山にあるという風穴を探すことにしました。20分ほど道無き斜面をがむしゃらに登りましたが、肺が悲鳴を挙げただけで徒労に終わりました。まったくの当てずっぽうですから、…当然の結果でした。

 このままでは帰れません。黒牛の集落で、「行き会った」と言うより「すれ違った軽トラ」の停まった先(自宅)に押しかけました。
風三郎神社奥宮 運搬機を降ろす作業中でしたが、こういう話が好きなのでしょう。「風穴はどこにあるのか」と問う私によく付き合ってくれ、最後は自宅から持ち出した本の中にある風穴の写真(左)を指し示し、「あの字の沢…」と具体的に教えてくれました。
 続く話の中で「知人が探しに行ったが、6回とも見つからなかった」と聞いて、「あの沢…」をくどいほど確認する私に、(自分で言うのも何ですが)「この人なら」と思ったのでしょう。その本を、「二冊あるから」と譲ってくれました。もう、何回もお礼の言葉とともに頭を下げ、「今日はこれで帰りますが、風穴にたどり着い時には報告に伺います」と別れました。

穴が空いた皿と椀は、安産祈願

 自宅で、頂いた本を改めて手に取ると、中川村出身の平澤和雄さんの著作でした。『えッ。年金って?』とある表紙に戸惑いましたが、その中の一章〔風三郎伝記〕に、風の三郎のイメージが崩れる一文がありました。

 安産の願を掛け、その願いがかなった時に献じたと言う底抜けの椀は、今も祠の下に幾数十個にも及ぶものが積み重なっており、往時の面影を忍ばせるのである。

 楽なお産を願うにしては、穴が小さすぎると思いました。その後、大きすぎれば流れてしまうと思い直しました。これは男である私の率直な感想ですが…。

 風三郎神社奥宮は、以下のリンクで御覧ください。


‖サイト内リンク‖ 「風三郎神社奥宮(風穴)参拝記」