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社宮司神社 駒ヶ根市下市場 29.10.28

 Googleマップで大御食(おおみけ)神社の周辺を眺めると、社宮司神社があります。ミシャグジとあっては表敬参拝しないわけにはいきません。当地の締めとして寄ることにしました。

社宮司神社参拝 29.10.8

 風三郎神社→上宮外縣神社→大御食神社と巡拝し、「さて」とカーナビに向き合いますが、…載っていません。かつては出直しの対象となりましたが、今やこういう時のスタイルに定着したスマホを手にします。Googleマップに表示した社宮司神社をナビに設定すると、その場所が何か特異な表情をしていることに気が付きました。

 広いバイパスを横切り、ヘアピン状の道で大きく戻ります。その突き当たりが、社宮司神社でした。

社宮司神社

 「大嶋氏 社宮司神社」とある社号碑があります。祝神(いわいじん)としてはかなりの規模ですが、見る物のすべてがこの土地に馴染んでいないことから、バイパスの通過でここに移転した可能性を思いました。
 覆屋の前にある灯籠一対に、「丸金」が彫られています。ミシャグジに金毘羅さんの紋とは不可解なので、大嶋氏の家紋と考えました。拝礼のために本殿の前に立つと、右側にある石碑に「金刀比羅大神」とあり、本来はこちらに奉献したものと理解しました。これは神社の移転整備によって生じたレイアウトの崩れと見ましたが、それなりの手続きを踏んでこのような配置にしたとも考えられます。因みに、同じ大きさの神号碑が左にもあり、水天宮でした。

社宮司神社 覆屋の左右と奥に格子戸が下がっています。蝶番(ちょうつがい)があるので蔀(しとみ)のように使うことが想像できますが、目隠しなのか・風除けなのか、初めて見た仕掛けということもあり、その用途を特定するのは困難です。

社宮司神社 バイパス法面(のりめん)の最上部から、背後の用水路を入れた景観を撮ったものです。
 前は大川という三角形の社地ですが、木々が邪魔をして、計算したアングルにしては説明不足の写真になりました。

社宮司神社 社地を反対側から狙おうと、対岸に渡りました。その時に、橋の銘板が「ねずみ川」と「足垣外橋」であることに気が付きました。「社宮司神社の垣外(かいと)か」とも思いましたが、双方とも珍しい名前として記憶に留めるだけにしました。

大変貌“ビフォーアフター”

地図 冒頭に書いた「広いバイパス」は、「伊南(いなん※伊那南部)バイパス」でした。「ヘアピン状の道で大きく戻り」も、Googleマップの衛星写真を見ると、何か取って付けたような不思議な道であることがわかります。
 それはともかく、社宮司神社の社地がバイパスの下だったのか、わずかに掛かったのかはわかりません。いずれにしても川沿いにあったことは間違いなさそうです。

地図
国土交通省『国土画像情報』

 生来の凝り性なので、迷わずにバイパス開通前の航空写真を探しました。昭和23年は不鮮明なので、昭和50年のものを採用しました。バイパスが通過した部分は別として、足垣外橋から北側が大きく変わっていることがわかります。
 新旧二つの写真を並べただけでは面白くないので、(水天宮説も挙がりそうですが)社宮司神社はここから取水した用水に関わるものとして、[]を旧鎮座地に設定してみました。

ねずみ川

 サイト『駒ヶ根市』の〔駒ヶ根市を流れる川〕に、「鼠川(ねずみがわ)」がありました。市のHPとしては“もう少し頑張って欲しい”という紹介文ですが、著作権があるので添削せずに転載しました。

この地方には、古代、官道の東山道が設けられ、これと並行して通信制度として、烽(とぶひ)と呼ばれる狼煙(のろし)台が置かれていました。
烽では、昼は煙、夜は火によって緊急連絡をしていて、日夜、特に夜も寝ないで見張りをしていたので、見張り台のことを古代においては「ねずみ(不寝見)」といったそうです。鼠川を遡ったあたりの山上に古代、「ねずみ」が置かれていたと考えられ、そこから流れ出る川を「ねずみ(不寝見)川」と呼ぶようになり、いつからか「鼠川」に変わって現在に至っていると考えられています。

足垣外

 文献を調べたわけではありませんが、古今の航空写真を眺めても近辺に大きな寺社があったとは思えません。素直に、社宮司神社の「垣外」としました。「足」は、川沿いの湿地帯に生える葦(アシ)が転化して付いたものと考えましたが、どうでしょうか。