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曲口神社 佐久市岩村田 30.10.6

「おー、曲口だ!!」

 サイト『長野県神社庁』に〔神社紹介〕があります。佐久の神社に目を通していたら、「曲口神社」がありました。諏訪で言うミシャグジには多くのバリエーション名がありますが、その一つの「曲口(しゃぐち)」は文字でしか見たことがありません。宗教法人とあって鎮座地が載っているので、「上・下」とある曲口神社を表敬参拝することにしました。

 私が住む諏訪の地では、曲口神社についての情報はネット上でしか得られません。「宮司が毎日発信を…」とある、ブログ『神道一直線』から転載しました。

http://izumosaku.blog85.fc2.com/blog-category-0.html

曲口神社 3社一直線「岩村田」(2018-02-28)
 佐久市岩村田荒宿東赤座には上曲口神社(かみしゃぐちじんじゃ)が鎮座します。その南西の相生町下宿には下曲口神社(しもしゃぐちじんじゃ)があります。この2社を線で結んだ南西の相生町鳴沢にも社口(おしゃこじさま)があります。

上曲口神社秋祭り(2009-09-13)
 佐久市岩村田の東芝間にある上曲口神社は古い神社で社殿や鳥居もありません。一説には縄文神だとか祟る神様とかいいますが、はっきりはしないようです。
 地元の古老はミシャグッツアンとも呼びます。岩村田にはここ上曲口神社と相生町の下曲口神社の二社がありますが、いずれも拝殿も鳥居もないです。一説にはこの二社から岩村田の測量を始めたので「尺をいれた口」とか「差し金(曲がり尺)をいれた」という説もあります。

 ネット検索を駆使して、(苦労しましたが)鎮座地を特定することができました。気になる「鳴沢の社口」ですが、「鳴沢橋」がわかっただけで、今回の巡拝は断念しました。

下曲口神社参拝 岩村田下宿 30.9.17

 悩みましたが、この構図のほうが面白いとして、背景に「佐久市子ども未来館(サクモ)」のドームを入れました。

下曲口神社
上田←下曲口神社→軽井沢

 写真に写る石組み内が、現在の曲口社の境内でしょう。今は野天ゴミステーションに使われ、「由緒書」と見たモノリス状の石板には「児童遊園地記念碑」が読めました。

下曲口神社 下調べで、「神号碑が一基だけだが、宗教法人登録の神社」とわかっていました。しかし、その前に立てば、やはり文字だけの神様には違和感があります。
 立ち寄り参拝者の戯言と言われそうですが、「ここは一つ石祠にして欲しかった」との思いがあります。その代わりというか、竹の棒を使った幣帛が何とも(理由無く)“曲口”にふさわしいもののように映りました。
 帰りに社地の境界柱を確認するつもりでしたが、早くも上曲口社に心が飛んでいたのか忘れてしまいました。

 これを書いている時に、碑が街道を背にしていることに疑問が湧きました。調べると、写真の道は、地図にある「中山道」とは道一つ違います。さらに調べると、こちらは「新中山道」でした。

上曲口神社 岩村田東赤座 30.9.17

上曲口神社
上曲口神社(

 グーグルマップの衛星写真で、神社が二棟のアパートの間にあることを知っていました。その前に立ちますが、緑地帯が私有地(私道)にも見えるので、手前の道に路駐としました。

上曲口神社 石祠一棟だけのミシャグジ社ですから、由緒も何もわかりません。祠に文字が確認できないことを確かめてから、ふと玉垣を見ると、何かが書いてあります。
 しかし、「境内の大木が、落雷や寿命で枯れた」とあるだけでした。それでも、文末に「佐久市岩村田曲口神社/有宿神社総代/同年番」とあり、「有宿」の神社総代会が管理していることがわかりました。

『中山道分間延絵図』に見る曲口神社

 下曲口神社が中山道沿いにあったことから、文化三年(1806)編纂『中山道分間延絵図』を覗いてみました。岩村田宿を開くと、名称は異なっているものの両社とも確認できました。
 しかし、現在の地図では街道から約300m離れた上曲口神社が載っているのが不思議です。鳥居しか描いてないので現在と変わらない規模となりますから、この絵図に載せるための条件に合致していたということでしょうか。

下曲口社space上曲口社
『中山道分間延絵図』曲口神社

 ここでは、『国立国会図書館デジタルコレクション』が公開しているものを、一部加工して転載しました。(『研究情報アーカイブズ』は、ネットで公開する際に義務づけられている表示です。ここでは無関係ですが、どうしても気になるという方はクリックしても構いません)