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新海三社神社の(仮称)石之多宝塔 佐久市田口 30.9.22

 新海三社神社の分社を巡拝する中で、分社の祭神三柱に興波岐命が見られないことから、本社の名称に違和感を持つようになりました。
 その後、史資料や古絵図を眺める中で、

との考えに至りました。世間では「東・中・西の各社殿が三棟あるから新海三社神社」と説明していますが…。

 これについては近々まとめる予定ですが、その前に、新海三社神社では(私の基準では)避けては通れない幾つかの事物を紹介することにしました。

「石之多宝塔」

新海三社神社「中本社と西本社」 建御名方命を祀る中本社(右)と事代主命を祀る西本社(左)の後方に、不思議な石造物()があります。
 新海三社神社は今も神仏習合の名残(なごり)が見られる珍しい神社ですから、仏塔のようにも見える何かを直近で観察することにしました。

新海三社神社 禁足地でないので誰憚(はばか)ることなくその前に立つと、胴部のノッペリ感が際立ち、想像していた「多宝塔」とは重なりません。
 それでも、上層部は背景の三重塔と比べてわかるように、相輪そのものです。
 帰りに、「でも、やっぱり多宝塔か」と境内案内図で確認しますが、名前はありませんでした。

諏訪大社上社本宮の多宝塔

温泉寺「石之御座多宝塔」
温泉寺に移された「石之御座多宝塔(御鉄塔)」

 (話は蓼科山を飛び越えて諏訪に移りますが)これが、明治の廃仏毀釈で撤去されるまでは、諏訪大社上社本宮(以下「上社」)の御神体だった「石之御座多宝塔」です。
 これと新海三社神社の仏塔を比較すると、屋根に丸と角の違いはあっても、同じ多宝塔であることがわかります。よって、以降は新海三社神社の仏塔を多宝塔と表記します。

石之御座多宝塔と宝殿
神長官守矢史料館蔵『復元模写版上社古図(部分)』

 次に、石之御座多宝塔が具体的に描かれた『上社古図』を用意しました。
 このように、幣拝殿から奥まった場所に多宝塔がありますから、社殿の違いはあっても、新海三社神社の多宝塔と同じ位置関係であることがわかります。
 また、この絵図ではわかりませんが、上社の社壇は「上壇−石之御座多宝塔・中壇−宝殿・下壇−神楽殿」とする構成になっています。

新海三社神社「境内平面図」
新海三社神社「境内平面図(部分)」

 新海三社神社も、左図のように「上壇−多宝塔・中壇−中本社と西本社・下壇−神楽殿」となっていることがわかります。
 こうなると、「新海三社神社は、諏訪大社の社殿・社壇配置を導入した」とまでは言いませんが、かなりの共通性があることがわかります。
 ここで「諏訪大社」としたのは、「上社」というより「諏訪大社下社の社殿配置に上社の社壇をミックスした」とすれば、正に合致そのものと言えるからです。ただし、新海三社神社の社壇が原初から同様のものだったとは言えません。また、「斜面を造成したから似たものになった」と言われれば、反論はできません。

 臼田町公民館『館報うすだ』に、「新海神社と上宮寺」シリーズが載っていることを知りました。486号から〔新海社と経塚〕の一部を転載しました。

 新海神社の(中・西)本社の真後ろの一段高い所に、「経塚」と呼ばれている高さ三・一m、屋根の幅一・二五mの仏教的遺物の石の塔が建っています。姿や置かれた位置から、これは高さ二・七二m、屋根の幅一・三m諏訪大社のお鉄塔(石之御座多宝塔)と同じもの、つまり神仏混淆(こんこう)時代のご神体だったのです。この塔は中へ経を納めることは出来ませんが、以前は周囲に経文の文字の書かれた小石が落ちていました。

 寄稿者の丸山正俊さんは、すでに、諏訪大社の御鉄塔との関連性を書いていました。ただ、石の“塔”が経“塚”と呼ばれていることには違和感があります。


‖サイト内リンク‖ 新海三社神社の「御魂代石」