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今井十五社神社 岡谷市神明町 23.5.2

 岡谷市には、長野県神社庁“公認”の「十五社」が四社あります。その一つが「神明町」にある「十五社」ですが、古くは「今井村」だったので、混同を避けるために「今井十五社(神社)」と呼ばれています。

 「岡谷IC」へのアクセス道路のため、かどうかは定かではありませんが、高規格道路のゆとりある歩道を北に向かいました。

「今井十五社神社」 現れた石柱を「十五社神社」と確認して、小山の上に続く石段の登り口に建つ鳥居をくぐりました。上を仰ぐと、萱葺きの家が階下に口を開けているのが見えます。近づくと、懸崖造りとも言える不思議な建物です。これは写真を見てもらったほうが確実なので説明は省きますが、支柱の枠を通して今井十五社神社の拝殿が見えました。

今井十五社神社舞屋 参拝順とすれば「拝殿前で拝礼が先」ですが、振り返って、やや俯瞰した位置からその全容を撮ってみました。屋根に千木のような板飾りがあるので社殿であることは間違いありませんが、楼門とは見えません。古色が乗った萱葺きが、何とも言えない趣を醸し出しています。
 登り詰めた最上壇はまったくの平地ではありませんが、拝殿と本殿を除いてもまだ十分な空きスペースがあります。なぜ、このような「不安定な場所」に「不安定な造り」で建てたのか不思議です。案内柱から「今井十五社神社舞屋」をそのまま書き写してみました。

 舞屋は、懸造(かけづくり)の間口柱間四間(六m)、奥行同三間(三・六m)の萱葺寄棟造の建物である。一八〇一年(享和元年)の建立とされ、当初の舞屋の外回りは格子戸で開放的であった。明治以降に両脇に下屋を設け、板壁などで囲んで社務所として使われ改造されているが、諏訪大社系の古い舞屋の形式を受け継いでいる点で貴重である。
岡谷市教育委員会 

 改めて眺めると、案内を素直に読んだ「下屋」がないので明治以前の景観ということになります。しかし、私の勉強不足で、「諏訪大社系の古い舞屋の形式」がどのようなものかわかりません。ここに来る途中にある「間下十五社神社」にも同じ萱葺きの舞屋がありましたから、それらが「古い形式」としました。

「今井十五社」 今井十五社神社の拝殿と本殿ですが、去年建てた御柱を入れたために「広角歪み」が出てしまいました。写真では拝殿の右に本殿が見えますが、覆屋の格子に貼られたガラスが反射してその詳細を紹介することはできません。本殿は岡谷市の有形文化財に指定されています。
 左手に見える大きな社殿は境内社の「津島社」です。他には下の駐車場の奥に「蚕玉神社」があるだけなので、何かと比較してしまう間下の十五社を持ち出すと、すきずき(隙隙)した境内に淋しさを感じてしまいました。

 岡谷市役所『復刻平野村誌』から「十五社」を転載しました。以下、引用を除き「今井十五社神社を今井十五社」と表記します。

祭神 建御名方神・八坂刀売神・御子神十三神
 今井字海途田鎮座、往昔今井村落が下方兵部畠附近にあった頃には乾(※北西)の方に当たっていたのが、今の位置からいえば坤(※西南)の方になったわけである。元石宮で社地森の南小平にあったが、寛政二年板宮新殿を峯の平に造立。十月八日これへ奉遷した。この時の板宮は初代立川和四郎作であった。しかして旧石宮には今白山宮を祀ってある。尚享和元年には舞屋も建てられた。更に本殿内に残る棟札によれば文久三年六月棟梁今井萬蔵重光が神殿を再建し奉るとある。現在の本殿がこれである。(立川富棟作のものはどうしたか不明である)御神体は石で観音の像を刻めるものだという。
 明治五年村社となり、大正十四年四月四日神饌幣帛料供進神社に指定された。

 この中で、旧本殿の石祠が「白山社」として使われていることに興味を覚えました。しかし、今井十五社の境内には該当する石祠はありませんでした。

今井十五社の旧鎮座地

 今井十五社の住所表示は「岡谷市神明町」ですが、かつては「今井村」でした。今井村の南方に当たる隣村が「間下村」で、その村境に近い山手に、小祠や神号碑が連なっている場所があります。ところが、核となる神社が存在していないので「境内社」と言う位置づけができません。

「旧今井十五社神社?」

 石鳥居の柱に住民自治組織である「今井区」と彫られているので、この一画が「旧今井村縁の場所」であることは推察していました。ここで、前記の「旧本殿は石祠」が繋がり、この場所が今井十五社の旧鎮座地である可能性に思い当たりました。

「旧今井十五社本殿?」 ここは「浦之太郎稲荷神社」の縁で訪れていたときに境内を一廻りしていたので、ひときわ大きな「古石祠」があることは記憶に残っています。
 今、撮っておいた写真を“そのつもり”で見直すと、旧今井村の鎮守社に相応しい重厚な造りです。また、玉垣の石材が鳥居と同質・同様の新しさからも「今井区が特別の地(祠)としている」ことがうかがえます。ここが「今井十五社の南方」「大型の社殿(拝殿・本殿)を造営するスペースが無い」「本殿がない境内社に見える」ことから、すべてが「旧鎮座地」に繋がってしまいました。
 以上に挙げたのは「状況証拠」に他なりません。前出の『平野村誌』には「社地森の南小平にあった」としか書いてないので、「小平」が「字(あざ)」なのか「小さな平」なのかわかりません。岡谷市図書館に『今井区誌』があり、これが“供述調書”になり得そうですが、未だ未確認です。